15年の歴史を感じさせる“お土産”に大感激!
2024年11月03日 15:16
芸能
老朽化に伴い来年4月から改装工事に入る内幸町ホール。二つ目だった2009年(平21年)5月7日にここで始まったのが三木助の独演会で、お土産は記念すべき第1回のプログラム(複製)だった。
当時は桂三木男を名乗り、「祖父に挑戦」のタイトルが初々しくも、意欲を感じさせて頼もしい。そしてゲストはなんと立川談志師匠だ。三木助は「お見立て」と「宿屋の仇討ち」で初陣を飾り、談志師は「孝行糖」でご機嫌を伺う。中入り後には「家元ごあいさつ」として三木助とトークを繰り広げた。
師匠の十一代目金原亭馬生(77)から、三代目三木助の孫であることを最大限活用しなさい…と“忠告”されていたことを三木助は明かした。それが家元のゲスト出演につながった理由の1つだが、むろんそれだけではないはず。将来性を高く買い、応援する気持ちからの登壇だったに違いない。ちなみにプログラムの文字を書いたのは立川談春(58)の弟子で、前座時代の立川こはる。昨年5月に真打に昇進し、立川小春志(こしゅんじ、42)を襲名した立川流期待の星だ。
浅草演芸ホールで10月中席の主任を務め上げたばかりとあって“入り”が心配だったと正直に話した三木助の改装前最後の内幸町ホールでの独演会。初回と同じ装丁にしたプログラムが用意されていて心憎い。歴史CG作家の中村宣夫氏による精細なCG映像が幕開けを飾り、会場に江戸の風が吹いたところで三木助が登場して冒頭のあいさつ。
続いて高座に姿を見せたのが、花があって人気上昇中の金原亭杏寿(35)で、15年前に談志師がかけた「孝行糖」で口火を切った。そして三木助の1席目。巧妙な手口で壺を値切って買おうとする男が主人公の、おなじみの「壺算」を披露した。
休憩時間が終わり、緞帳が上がると高座には3人の姿。客席から見て、左に杏寿、右に三木助。そして中央が5月に二つ目に昇進した金原亭駒平(35)だ。昇進から半年が過ぎたが、三木助の“兄心”から口上のセレモニーが用意された。
2018年6月、28歳で金原亭世之介(66)に入門し、コロナ禍の3年間も相まって苦労した駒平だが、もともとが小劇団の看板俳優。とにかくおしゃべりで、トークもおもしろい。三木助は一門の後輩にあたる駒平と杏寿をかわいがり、2人もかいがいしく会をサポートしてハーモニーを奏でている。
三本締めで口上を締めくくった後、駒平は「鈴ケ森」を披露。見習いの泥棒が、頭(かしら)と鈴ケ森で追い剥(は)ぎの実施訓練をする話だが、よく通る声で大熱演。これからが楽しみな逸材だ。
そして改装に入る内幸町ホールでの最後の演目に三木助が選んだのは「佃祭」だった。住吉神社の夏の祭りを見物した小間物問屋を営むダンナが、佃の渡しから終(しま)い船に乗ろうとしたところ、見知らぬ女性に呼び止められる。3年前、店のお金を紛失して吾妻橋から身投げしようとしていたところを助けられ、5両のお金まで恵んでもらった者という。引き留められたダンナは結局、船に乗れずじまいだったが、なんと終い船は沈没。多くの死者が出て…。「情けは人の為ならず」をテーマにした古典落語だ。
越中島のスポニチ本社からほど近い佃島。佃煮でもおなじみな地で、親近感もある地だ。三木助は「佃」と呼ばれるようになった由来からたっぷりと話し、立派に掉尾を飾って同所での15年に及んだ会をいったん締めくくった。
冒険心にもあふれた本格派。2025年2月に予定する独演会は池袋のHALL MIXAで開催することも明かされた。