松本薫 何度もあった挫折 炭酸ジュースとポテチの超偏食も見直した
2012年07月31日 06:41
五輪
挫折は何度もあった。名門・三井住友海上と合同練習を行う藤村女子高に進学したが「型にはめられるのが嫌で」転校。地元・金沢学院東高に転校したが、規定で3年時の全国総体に出場できなかった。
熱くなりすぎ「一度も掛けたことすらなかった」巴投げを繰り出し一本負けしたこともある。最大の転機は09年の世界選手権。準決勝で右手甲を骨折しながら3位決定戦に進んだが「普通に勝てると思った」試合運びで一本負け。「どうしたらいいか考えろ」と園田監督に怒鳴られた。
「食事とかトレーニングとか、それから見直した」。朝から空揚げ、昼は炭酸ジュースとポテトチップス、夜は揚げ物とお菓子という超偏食生活を見直し、自炊も始めた。調理師の父・賢二さんに、冷凍パックで食事を送ってもらうようにもなった。周囲への感謝の気持ちを知ったことで、松本自身が変わった。