【バスケW杯】日本 48年ぶり自力で決めたパリ五輪!河村&富永“22歳コンビ”がけん引

2023年09月03日 05:30

バスケット

【バスケW杯】日本 48年ぶり自力で決めたパリ五輪!河村&富永“22歳コンビ”がけん引
バスケットボール男子W杯順位決定リーグで、カボベルデを破って、喜ぶ日本代表。パリ五輪出場権を獲得した=2日、沖縄アリーナ Photo By 共同
 【バスケットボール男子W杯順位決定リーグO組   日本80ー71カボベルデ ( 2023年9月2日    沖縄アリーナ )】 日本勢団体球技の第1号でパリを決めた!順位決定リーグO組最終戦で世界ランク36位の日本は同64位のカボベルデに80―71で競り勝ち、3勝2敗とした。アジア最上位が確定し、2大会連続8度目の五輪出場を獲得。開催国枠ではない自力出場は76年モントリオール五輪以来48年ぶりの快挙となった。司令塔の河村勇輝(22=横浜BC)、シューターの富永啓生(22=ネブラスカ大)の22歳コンビが躍動。“沖縄の歓喜”の立役者となり、日本バスケ界の新時代が幕を開けた。
 新時代の幕開けを告げる終了のブザーが響いた。沖縄民謡「唐船(とうしん)ドーイ」のリズムに乗って、満員7374人の観衆が揺れる。河村は富永に抱えられて拳を突き上げた。

 18点リードで突入した第4Q。最後に試練が待っていた。残り2分48秒まで1点も取れず、一時は3点差。それでも守備で耐えて、残り49秒、ホーキンソンが相手のファウルを受けながらゴール下でシュートをねじ込んで突き放した。チーム一丸でパリ切符をつかみ、河村は「本当にうれしい」と実感を込めた。

 第1Q残り50秒から出場した富永が爆発した。8本中6本を沈めた3点シュートを含む22得点。8月29日のオーストラリア戦では全10本の3点シュートを失敗し、31日のベネズエラ戦も精度を欠いた。自信を失いかけた時、渡辺から「(ステフィン)カリーは10本外した次の試合でレコードを出している。次は入るよ」と声を掛けられた。「チームメートは皆、信じてくれた。本当にありがたい」。最後に期待に応えた。

 司令塔の河村も躍動した。28分18秒の出場で14得点、8アシスト、3スチール。何度もドライブで切れ込み相手の守備陣を収縮させ、外の選手をフリーにさせた。チームは3点シュート32本中12本を決め成功率38%。ホーバス監督が目標に掲げる40%に近い高確率を演出したのは富永と河村だった。

 2人は同じ01年生まれの22歳。U―17、19W杯はアジア選手権で順位条件を満たせず出場権を逃しており、今大会がアンダーカテゴリーを含めて初の世界舞台だった。日本は19年W杯で5戦全敗に終わり、21年の東京五輪も3戦全敗に低迷。16年リオ五輪予選も含めて世界で勝てなかった時代を知らない2人が、世界で勝つ原動力となった。チーム最年長33歳の比江島は「若い世代の勢いが凄い。あの年齢でこの舞台で、考えられない」と脱帽した。

 断固たる決意を持って臨んだ今大会。5試合を戦い抜き、技術も、気力も、体力も、全てをコートに置いてきた。自力での五輪出場は48年ぶり。河村は「五輪では世界トップの国と渡り合わないといけない。本当に高いレベルでも自分のプレーを遂行できるように、1年間で準備をしたい」と視線を上げた。

 ◇河村 勇輝(かわむら・ゆうき)2001年(平13)5月2日生まれ、山口県出身の22歳。福岡第一高時代に全国選手権2連覇を含む4度日本一を達成。20年1月に特別指定選手としてBリーグ三遠に加わり、当時のB1最年少出場記録、最年少得点記録を更新した。同年4月に東海大に進学。横浜BCでの特別指定選手を経て、22~23年にプロ契約。同シーズンにMVP獲得。1メートル72、68キロ。

 ◇富永 啓生(とみなが・けいせい)2001年(平13)2月1日生まれ、愛知県出身の22歳。岩成台中―桜丘高を経て、19年に米レンジャー短大に進学。21年にネブラスカ大に編入した。3人制代表だった東京五輪は8試合で全選手中6位の通算55得点を記録した。5人制の日本代表は22年7月1日のW杯アジア予選オーストラリア戦でデビュー。「和製カリー」の異名を持つ。父は2メートル11の長身で98年世界選手権代表の啓之氏、母も元実業団選手。1メートル88、80キロ。

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