曙太郎さん 幼少時から運動神経抜群 「大海」でデビューし「曙」に、若貴兄弟と一時代築く

2024年04月11日 10:46

相撲

曙太郎さん 幼少時から運動神経抜群 「大海」でデビューし「曙」に、若貴兄弟と一時代築く
断髪式で横綱・貴乃花(上)が大銀杏にはさみを入れ、涙を流す曙(2001年撮影) Photo By スポニチ
 曙ことローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオさんは1969年5月8日、ハワイ・オアフ島で生まれ、幼少の頃は大和、高見旺と良く遊んだという。ハイスクールに入学すると体はめきめきと大きくなり、身長は2メートル近くに成長。バスケットボールで活躍し、ハワイの高校選抜のメンバー入りした。アメフトや野球でも非凡な運動神経を発揮したという。
 ハワイのパシフィック大に進学したが、将来のことでコーチと対立し3カ月で中退。しばらくして大相撲で活躍した高見山の親族から相撲を紹介された。87年2月に来日。高見旺、高見州と同じ東関部屋に入門した。

 初土俵は88年春場所。同期に若貴兄弟、魁皇らそうそうたるメンバーがいるなか、「大海」でデビュー。大魁がいたため、わずか1場所で「曙」に改名した。

 長身を生かしたリーチの長い迫力満点の突っ張りを武器に番付を駆け上がり、初土俵から12場所で十両に昇進。十両も3場所で通過し、90年秋場所で新入幕を果たした。91年春場所には小結、夏場所で関脇に昇進した。同じハワイ出身の師匠に加え、先輩・小錦らの存在も大きく成長を支えることになった。

 92年初場所で13勝、翌夏場所でも13勝で初優勝を飾り名古屋場所で外国出身では2人目の大関に昇進した。当時は横綱が不在だったが、若貴兄弟の好敵手として空前の大相撲ブームを支えた。

 同年九州で14勝1敗で2度目の優勝を果たすと、93年初場所の13勝を挙げ連続優勝。場所後には外国出身力士初の横綱(第64代)に昇進した。

 昇進後も同年名古屋から3連覇。翌94年も春場所で優勝と若貴兄弟をしのぐ勢いと底力を見せつけた。しかし、体重増加が膝と腰への悪影響を及ぼし94年以降は休場が目立つようになった。2000年名古屋場所では19場所ぶりに優勝。同九州場所でも優勝し、復活をアピールした。しかし、両膝は限界に近づき、01年初場所後に引退を決断した。

 引退後は東関部屋付きの曙親方として高見盛、潮丸など後進の指導に励んでいたが、03年11月に相撲協会を電撃退職。K―1転向を発表した。

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