曙VSボブ・サップは紅白超え視聴率記録 プロレスで活躍も17年4月の試合後に体調異変を訴え、救急搬送

2024年04月11日 10:50

相撲

曙VSボブ・サップは紅白超え視聴率記録 プロレスで活躍も17年4月の試合後に体調異変を訴え、救急搬送
2015年、RIZINでボブ・サップ(右)と対戦する曙太郎 Photo By スポニチ
 相撲界を離れ、格闘技の世界に足を踏み入れた曙は電撃移籍から2カ月で大みそかの「K―1 Dynamite!!」に参戦。「野獣」ボブ・サップと夢の対戦に臨んだ。結果は1R2分58秒、サップの右フックに沈み、うつぶせのままぴくりとも動けない衝撃的な失神KO負け。しかし、この対戦は国民の大きな関心を集め、瞬間最高視聴率は関東地区で43・0%。NHKの国民的イベント、紅白歌合戦を超える快挙を成し遂げた。
 敗れたものの、2メートル、200キロ以上の巨体を誇る曙の潜在能力に期待は集まったがK―1では1勝のみと奮わず、戦いの舞台をプロレスへと移すことになった。05年には米WWEのマットにも登場。「レッスルマニア」ではビッグショーとの相撲マッチで勝利するなど大きな衝撃を与えた。曙は全日本プロレスに本格参戦し武藤敬司に師事。「武藤部屋」で非凡な素質を開花させた。05年の世界タッグ決定リーグでは武藤との師弟タッグで準優勝を飾ると、同年のプロレス大賞で新人賞、最優秀タッグチーム賞を獲得した。

 その後も新日本、全日本、ノア、ZERO―ONE、さらにはハッスルでもユニークなキャラクターを演じるなど幅広く活躍。13年9月からは全日本所属となり3冠へビー級王者にも2度君臨するなど活躍したが15年11月に退団。12月は自らが社長を務める新会社「王道」を立ち上げ、事務所をジャイアント馬場さんの自宅に構えるなど夫人だった馬場元子さんの全面的な支援を受けた。同年大みそかには総合格闘技イベント「RIZIN」でサップと12年ぶりの再戦。16年4月には「王道」の旗揚げ戦を行ったが17年4月の試合後に体調の異変を訴え、救急搬送された。自身も入院が長期化し、危険な状況だったが懸命なリハビリで回復した。18年9月下旬にも心停止に見舞われたことで重度の記憶障害が後遺症として残るなど再び危険な状態に陥った。19年12月にはかつての付け人で41歳で亡くなった東関親方(元幕内・潮丸)の弔問に訪れている。

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