【内田雅也の追球】「本日の大阪、晴、笑顔……ところにより涙」の光景

2023年11月24日 08:00

野球

【内田雅也の追球】「本日の大阪、晴、笑顔……ところにより涙」の光景
御堂筋に詰めかけたファンに手を振る阪神・岡田監督 Photo By 代表撮影
 優勝パレードの取材に向かう阪神電車では大きなカメラをさげた、若い女性がいた。大阪メトロ御堂筋線に乗り換えるとそろいの阪神のユニホームに身を包んだ父と姉弟の親子がいた。大阪会場スタート地点の淀屋橋に着くと沿道に高齢の祖父と父母、孫がいた。神戸でも同じ光景が見えたことだろう。
 あらゆる年齢層、老若男女のファンが待ち望んでいた。これが阪神ファンである。長い歴史を経て地元に根づいている。「昨日は勝った、負けた」の朝のあいさつから夜の甲子園やテレビ観戦まで生活の一部なのだ。

 先に書いたおじいちゃんは孫に何ごとか語りかけていた。80歳前後か。ならば1962(昭和37)年の優勝パレードは高校生で多感なころだ。次の優勝(日本一)85年は40歳前後で働き盛り。息子はまだ学生だ。2003年、05年の優勝パレードは還暦を過ぎたころに迎えたことだろう。

 負けてばかりでもなお愛される阪神は、世代ごとに優勝していることになる。その歓喜は親から子へと語り継がれる。米作家ロジャー・カーンが書いたように「野球は父子相伝の文化」なのだ。

 監督・岡田彰布があいさつで「そこが60年前に入学した小学校。感慨深い」と話した。スタート地点のそばに母校・愛日小学校(閉校)があった。大阪・玉造の家から電車を乗り継いで通った。

 父・勇郎は紙工場を営み、熱狂的な阪神ファンだった。有力後援者となった。岡田が幼いころ、藤本勝巳、村山実、三宅秀史……ら当時の選手が自宅にやって来た。

 母・サカヨは夫と息子を「一卵性親子」と表現する。岡田も父親そっくりに育ち、甲子園のスタンドでONら巨人選手をやじっていた。父親譲りの阪神ファンだった。

 「ありがとう」を浴びた後、岡田は言った。「みんな待ってくれていたんやなあ。まあ、オレも半分待ってたんやけどな」。監督に就くまでも常に阪神を見つめていた。一番のファンなのだ。だからファンの気持ちもよく分かる。プロ野球は誰のものかを知っている。

 1969年、新興メッツのワールドシリーズ初制覇でのパレードで天気予報が粋に伝えた。「本日のニューヨーク、晴、ところにより紙吹雪」

 ふと見れば、先の3世代親子の祖父と両親は泣いていた。「本日の大阪、晴、笑顔……ところにより涙」の光景が広がっていた。 =敬称略= (編集委員)

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