日本航空石川 能登半島地震で校舎甚大な被害 集団避難の山梨で練習再開 26日吉報待つ!

2024年01月20日 05:00

野球

日本航空石川 能登半島地震で校舎甚大な被害 集団避難の山梨で練習再開 26日吉報待つ!
集団避難し、山梨県富士川町のグラウンドを借りてランニングする日本航空石川ナイン Photo By スポニチ
 能登半島地震で被災した日本航空石川(石川)が19日、避難先となる山梨県の富士川町で練習を再開した。地震で甚大な被害を受けた輪島市内にある同校は、生徒が4月から系列校の山梨キャンパスに集団避難する予定で、今春選抜に出場する可能性のある野球部の主力メンバーが一足先に山梨入りしていた。練習場には閉校した旧増穂商のグラウンドを使用。今春選抜の出場32校が決まる26日の選考委員会での吉報を待つ。
 大好きな野球を通して、表情の硬かった日本航空石川ナインに笑顔が戻った。全体練習再開日に主力を中心とした選手26人が集まったのは、石川ではなく山梨。系列校のある山梨県が練習場を探し、石川キャンパスから約235キロ離れた旧増穂商のグラウンドを確保してくれた。中村隆監督は、初日から声を張り上げる選手を見つめて「表情が豊かになった。野球ができる喜びを感じています」と安どした。

 部員67人のうち石川県出身の選手は11人。能登半島地震が起きた元日は、大半の部員が地元に帰省していた。その中で投手の福森誠也(2年)が輪島市内で被災した。親戚10人で集まっていた祖母の家は、天井が崩れ、家財が散乱。屋外に飛び出すと、近所の人が「津波が来るぞ!」と叫んでいた。転倒して腰を骨折していた祖母の舞子さん(66)を背負い、必死に高台へ逃げた。避難所での初日は、せんべい1枚を親戚10人で分け合った。それでも支援物資が届かず、避難所にあった売店をこじ開けて被災者と食料を分け合った。

 避難所では掃除や炊き出しの準備などボランティア活動にいそしんだ。余震は続き、自主練習などできる環境ではなかった。「野球のことは頭になかった。山梨に行くべきか、ずっと悩んでいた」。最終的には中村監督や選手からの連絡を受けて、山梨入りを決断。避難所の人たちから「頑張ってこい」と背中を押され、両親が運転する車で約6時間かけて18日に山梨に入った。

 地震直後、石川県出身で連絡の取れない選手が2人いた。全員の生存確認が取れたのは、地震から一夜明けてからだった。「“良かった”を通り越した(感情)」と振り返る中村監督は兵庫県神戸市出身で、10歳の頃に阪神大震災で被災。当時の少年野球の練習場は、仮設住宅場に変わった。「日常がどれだけ幸せか。生徒には野球以外にも目を広げ、僕らがやるべきことをやろう、と言いました」。石川県内で個人の災害ボランティアが再開されれば、選抜出場の可否に関係なく部員全員で輪島市に入ると決めている。

 部員と指導者は、山梨キャンパスの3つの教室に段ボールのベッドを並べて生活。同校から練習場まで、チームバスで約30分かけて移動する。「選抜に選ばれれば“一生懸命やれ”と言いたい。一生懸命、でいいと思う。その先に何かを感じていただけたらうれしいです」。野球に集中できる環境に感謝し、選抜に向けた準備を続ける。(河合 洋介)

 ≪富士川町が支援≫日本航空石川の練習拠点となる山梨県富士川町は、野球部の全面支援を約束した。炊き出しを実施するなど連日サポートする予定で、全体練習初日は同町の名産品であるゆずを使った「ゆず茶」を振る舞った。全部員が練習前に体を温め、宝田一慧(ほうだ・いっけい)主将(2年)は「ゆずの香りがして、温かくておいしかったです」と感謝した。

 ≪「残り1校」混戦≫今春選抜の北信越地区の出場校数は、一般枠の2校に加え、昨秋の明治神宮大会で星稜(石川)が優勝したことで付与された「神宮枠」を合わせた3校となる。星稜と昨秋の北信越大会準優勝の敦賀気比(福井)が当確。残り1校は、同大会4強の日本航空石川と北陸(福井)との比較になる。北陸が県1位に対して、日本航空石川は県2位。ただし、日本航空石川は北信越大会準決勝で敦賀気比に3―4の接戦を演じただけに、極めて難しい判断となる。

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