生瀬勝久 当初の芸名から本名に戻した理由 「お袋が市議会議員をやって…教育問題扱っていたから」

2024年08月03日 14:40

芸能

生瀬勝久 当初の芸名から本名に戻した理由 「お袋が市議会議員をやって…教育問題扱っていたから」
生瀬勝久 Photo By スポニチ
 俳優の生瀬勝久(62)が3日放送の日本テレビ系「メシドラ~兼近&真之介のグルメドライブ~」(土曜前11・55)に出演。以前の芸名「槍魔栗三助」について明かした。
 以前、関西で芸人として活動していたという生瀬。当時の芸名は「槍魔栗三助」だったといい「そういうのが流行っていたの昔。僕ね、学生時代にお笑い研究会にいたのでそのときに漫才で槍魔栗三助と鰻登源八って名前で」「相方が考えた名前がそれなの、お前どっち取る?って俺は冒険したいと思ってそっち(槍魔栗三助)を取って」と明かした。

 続けて芸名から本名に戻した経緯については「30歳で本名に戻して。うちのお袋が当時市議会議員をやってて…息子が役者になったということはとりあえず周りの人に話はしたのよ。でも“生瀬勝久、生瀬さんの息子さんでしたよね?どこにも見ない”と」とした上で、「槍魔栗で出てるんだから、それでちょっとお袋が可愛そうになってきて。教育問題を扱っていたからお袋はね」と笑いながら振り返った。

 さらに、「本名に戻すとお袋にも伝えて、ある日家に帰ったら“あんた今度名前を変えるんでしょ、私も(芸名を)考えてきた”。俺はもう本名に戻すから新しい芸名にしたくない」「でも姓名判断の先生に…って半紙に名前が書いてある。一つ目は生瀬凡太郎、次に出てきたのが生瀬伯柳」と母が提案した芸名についても話した。

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