飛び込みシンクロ寺内&坂井 東京五輪代表1号決めた!

2019年07月14日 05:30

飛び込み

飛び込みシンクロ寺内&坂井 東京五輪代表1号決めた!
決勝3本目に臨む寺内(左)と坂井(撮影・会津 智海) Photo By スポニチ
 【水泳 世界選手権 ( 2019年7月13日    韓国・光州 )】 男子シンクロ板飛び込み決勝で、38歳の寺内健と26歳の坂井丞(ともにミキハウス)組が389・43点で7位となり、全競技を通じて日本勢で第1号の20年東京五輪代表に決まった。寺内は馬術の杉谷泰造(43)に並ぶ夏季の日本人最多6度目、坂井は2大会連続2度目の五輪。00年シドニー五輪から正式種目となったシンクロ種目で、日本は五輪開催国として出場枠を得ており、日本水連は今大会の8位以内に入ったペアを五輪代表にすると決めていた。
 何とか踏みとどまった。5本目を終え8位で迎えた最終6本目の107B(前宙返り3回半えび型)。寺内と坂井の入水は飛沫(しぶき)が上がりやや乱れた。そろって電光掲示板で得点を確認。最後の中国を残して7位以上が確定したことを知ると、両手を合わせて喜びを分かち合った。寺内は「粘り強く戦った結果。一発目で決められて良かった」と実感を込めた。

 寺内は試合中に一切得点を見ないが、坂井は一本一本順位を確認するタイプ。3~5本目は五輪内定ラインの8位が続いただけに「(寺内)健君に順位を言えなくて苦しかった」と振り返った。もっとも寺内は「丞がガチガチで、コーチ陣が熱の入った指示を出していたので(順位は)何となく分かっていた」と苦笑い。右肩に痛みを抱える中でも、ベテランらしく最後まで落ち着いていた。

 2人の出会いは23年前。寺内が15歳、坂井が3歳の時にさかのぼる。寺内は既に一線で活躍。坂井は指導者の両親に連れられ試合会場で頻繁に顔を合わせた。寺内が坂井の遊び相手となり、プールサイドで即席の“体操教室”を開くこともあったという。当時、プールに向かう時の坂井の口癖は「今日は健ちゃんいるの?」。年を重ねるごとに、寺内の偉大さを知り、「健ちゃんのようになりたい」と憧れの存在となった。

 寺内が一時引退した08年北京五輪後に坂井は頭角を現し、大会で競うようになってから呼び方を「健君」に変えた。15年4月のプエルトリコ遠征で初めてペアを結成。16年リオ五輪後に個人種目と並行して本格始動した。個人種目の3メートル板飛び込みでそろって予選敗退したリオ五輪は、寺内が強風にあおられて失敗ジャンプをした直後に坂井も失敗。3年前はミスが“シンクロ”しただけに、東京は同じ申(さる)年の12歳差ペアのリベンジの舞台となる。

 ▽今後の五輪代表内定 今大会は競泳で「内定」続出の可能性がある。日本水連は世界選手権の個人種目優勝者を東京五輪代表とする選考基準を定めており、男子個人メドレーの瀬戸大也(ANA)、同平泳ぎの渡辺一平(トヨタ自動車)、女子個人メドレーの大橋悠依(イトマン東進)らが期待される。22日に女子200メートル個人メドレー決勝がある大橋が「第2号」有力か。

 ▽飛び込み 高さ1メートル、3メートルから弾力性のある板を使う板飛び込み、高さ5メートル、7.5メートル、10メートルの台から飛び込む高飛び込みの2種類あり、それぞれ2人1組で飛び込むシンクロがある。採点競技で、男子は6回、女子は5回の試技の得点の合計を競う。採点は0~10(0・5刻み)。上位2つと下位2つを除く採点を合計し、演目の難易率を掛けた値が得点になる。

 ◆寺内 健(てらうち・けん)1980年(昭55)8月7日生まれ、兵庫県宝塚市出身の38歳。生後7カ月で水泳を始め、小学5年時に飛び込みに転向。此花学院高、甲子園大、甲子園大大学院を経て、ミキハウスに所属。08年北京五輪後に一時引退も、10年に復帰。16年リオデジャネイロなど5度の五輪に出場。1メートル70、68キロ。血液型A。

 ◆坂井 丞(さかい・しょう)1992年(平4)8月22日生まれ、神奈川県相模原市出身の26歳。麻布大渕野辺高(現麻布大付高)、日体大を経て、ミキハウスに所属。両親、姉、妹も競技経験のある飛び込み一家で、5歳の時に初めて大会に出場した。世界選手権は09年ローマから6大会連続で出場。1メートル71、58キロ。血液型A。

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