石浦引退会見「体の小ささは関係ないという意地があった」貫いた真っ向勝負 嘘のない相撲人生

2023年06月07日 19:50

相撲

石浦引退会見「体の小ささは関係ないという意地があった」貫いた真っ向勝負 嘘のない相撲人生
引退会見を行った元幕内・石浦の間垣親方(左)と師匠の宮城野親方(元横綱・白鵬)=撮影・前川 晋作 Photo By スポニチ
 1日に現役引退を発表した大相撲の元幕内・石浦(33=宮城野部屋)が7日、東京・両国国技館内で引退会見を行った。
 昨年春場所で首を負傷。頸椎症性神経根症と診断され、その後は治療を続けたがドクターストップがかかり引退に至った。最後の出場となった場所が自己最高位の西前頭5枚目だっただけに「もうちょっと現役やりたいなという気持ちはありました」と本音も。それでも「幕内で相撲取れて三賞もいただけて、入門した時の自分を想像するとよく頑張ったと思います」とすがすがしい表情で充実の10年間を振り返った。

 初土俵を踏んだのは13年初場所。日大を卒業してから約1年がたつ頃だった。既に日大相撲部同期の山口雅弘が大喜鵬のしこ名で関取として活躍。他にも同学年の英乃海、志摩ノ海、慶天海らが大相撲の世界に進んでおり「頑張っている姿に刺激を受けた」と角界入りを決めた。当時は体重100キロに満たない小兵で、日大で5人制の団体戦レギュラーに入ってなかったこともあり「(プロ入りは)やめといた方がいい」という周囲からの意見もあったという。力士生活10年間を終えた今「自分の意志を貫き通してよかった」と改めてその決断を誇らしく感じていた。

 入門から2年で新十両昇進、その1年後には新入幕。体重110キロ台の小兵ながら多彩な技で幕内の土俵を大いに沸かせてきた。中に入ってからの下手投げや下手ひねり、出し投げのうまさは随一で、多くの小兵力士の手本となった。「小さい頃から相撲をしてきて、体が大きいだけの人に負けた時代もあった。それに対して、体の小ささは関係ないんだぞっていう意地みたいなものがあった」。相撲を始めた頃から常に小兵選手・小兵力士として活躍。鳥取城北高相撲部の部訓である「嘘のない稽古」のように、正々堂々真っ向勝負を貫いた“嘘のない”相撲人生だった。

 今後は年寄「間垣」を襲名して後進の指導にあたる。「宮城野部屋が好きなので、強い子も入門してきて活気のある部屋で指導したい。これからも宮城野親方(元横綱・白鵬)の下でいろいろ学びたい」。自身の復帰が難しいと分かった昨年夏頃から、稽古場では既に弟弟子たちの指導に従事してきた。同じ小兵で首にケガを抱える炎鵬(28)や来場所新十両の川副改め輝鵬(24)、鳥取城北高の後輩にあたる落合改め伯桜鵬(19)らに治療法やトレーニング方法を教えるなど、既に親方の役割を担っていた。年寄名「間垣」の下の名は「喜翔(よしと)」に。父であり母校・鳥取城北高相撲部総監督の石浦外喜義氏の「喜」と、師匠・宮城野親方(元横綱・白鵬)の下の名「翔」を取った。

 石浦の間垣襲名に伴い、先代間垣親方(元幕内・竹葉山)は日本相撲協会を退職。「再雇用(期間)があと3年残っている中で、今後の宮城野部屋のためを考えて譲ってくださったのは本当に感謝しかありません」。年寄名跡を譲り、親方として部屋に残る道を作ってくれた先代師匠の優しさに、感謝の思いがあふれた。


 ◇石浦 鹿介(いしうら・しかのすけ)本名=石浦将勝(まさかつ)。1990年(平2)1月10日生まれ、鳥取県鳥取市出身の33歳。鳥取城北高相撲部の石浦外喜義監督の長男として生まれ、5歳から相撲を始める。鳥取西中3年時に全国都道府県中学生大会3位。鳥取城北高3年時に世界ジュニア選手権軽量級優勝。日大1年時に東日本学生体重別無差別級準優勝。日大を卒業後、約半年間のオーストラリア留学を経て宮城野部屋に入門。12年初場所で初土俵。翌春場所で序ノ口優勝。翌夏場所で序二段優勝。15年春場所で新十両。16年九州場所で新入幕。同場所、いきなり優勝争いに絡む大活躍で敢闘賞を受賞。最高位は西前頭5枚目。幕内在位26場所。幕内成績161勝186敗43休。通算成績350勝321敗108休。1メートル73、99キロ。年寄名は「間垣 喜翔」。

おすすめテーマ

2023年06月07日のニュース

特集

スポーツのランキング

【楽天】オススメアイテム