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【菊地選手の「隠し玉」発掘】Honda・片山皓心投手 鉄腕復活!ケガ乗り越えた即戦力左腕

2024年10月18日 18:00

野球

【菊地選手の「隠し玉」発掘】Honda・片山皓心投手 鉄腕復活!ケガ乗り越えた即戦力左腕
投球練習するHonda・片山(撮影・木村 揚輔) Photo By スポニチ
 24日に行われるドラフト会議。フリーライターの菊地選手(42)が、全国を飛び回り探し出した隠し玉を紹介する。
 胸周りからしならせ、体内のエネルギーをリリースポイントに集約する。捕手がほとんどミットを動かさず、「バチン!」と捕球音を響かせる。Honda・片山の強烈な球威と正確なコントロール。ブルペンでの投球練習を見ながら、「これこそ私たちが見たかった片山皓心の姿だよな」という感慨が抑えられなかった。

 高校時代の片山が今の自分を見たら、何と言うだろうか。そう尋ねると、片山は「たぶんビックリするでしょうね」と笑った。

 片山を初めて見たのは、今から8年前。茨城の公立進学校・日立一のグラウンドだった。当時の片山は身長1メートル70台前半と小柄で、球速は常時120キロ台。コントロールも不安定な控え投手だった。だが、確率は低いものの何球かに1球、指にかかった凄まじいボールを投げていた。いかにも自信のなさそうな片山に対して、当時の中山顕監督は「お前のポテンシャルは半端じゃないんだ」と説き続けていた。

 晩成型の片山は、進学先の桐蔭横浜大で4年時にエースになる。秋の横浜市長杯では全3試合を完投する鉄腕ぶりで優勝に貢献。社会人の名門・Hondaでも1年目の春先からエース格として結果を残し、翌年のドラフト指名は堅いと思われた。

 だが、片山は長いトンネルに入ってしまう。左ヒジを2回手術し、2年以上も実戦マウンドから遠ざかった。普通に考えれば、プロ入りは極めて厳しい状況だ。

 それでも、片山は前を向き続けた。

 「自分が野球を続けるきっかけを与えてくださった方がいるのに、自分から野球を投げ出すのは失礼ですから。応援してくれる人のために頑張ろうと気持ちを切り替えました」

 近くで見守ってきた木村龍治投手コーチ(元巨人)はこう証言する。

 「片山は投げられない時期も、自分がやるべきことに向き合って淡々と練習していました。彼の野球への意識はプロの先発ローテーションクラスと遜色ないですよ」

 大卒4年目となった今年に、ようやく実戦マウンドに帰ってきた。10月1日には東京都企業秋季大会・東京ガス戦で7回無失点の快投を見せ、完全復活を遂げている。片山は「打者の反応を見ると、ケガする前より球が走っているのかなと感じます」と手応えを口にする。

 秋が深まるにつれ、視察に訪れるスカウトの数も増えている。片山は「指名していただけるなら、プロに挑戦したい」と殊勝に語った。

 体調は万全で、ネックは大卒4年目の年齢だけだろう。それでも、同じく大卒4年目でプロ入りした船迫大雅(巨人)や福永裕基(中日)のように、プロで確かな足跡を刻んだ実力派もいる。

 長いイニングを投げられる即戦力左腕は希少価値が高い。これから全盛期を迎えるはずの片山皓心を求める球団は現れるだろうか。

 ◇片山 皓心(かたやま・ひろみ) 1998年(平10)10月31日生まれ、茨城県出身の25歳。日立一では控え投手も、桐蔭横浜大ではエースとなり4年秋に横浜市長杯MVP。Honda入社直後からエース格として活躍し、2回にわたる左ヒジ手術を乗り越え完全復活。体感速度の速いストレートと決め球のチェンジアップのコンビネーションを武器にする先発型左腕。1メートル75、84キロ。左投げ左打ち。

 ◇菊地選手(きくちせんしゅ)1982年(昭57)生まれ。本名・菊地高弘。雑誌「野球小僧」「野球太郎」の編集部員を経て、15年4月からフリーライターに。ドラフト候補の取材をメインに活動し、X上で「大谷翔平」と投稿した最初の人物(10年10月8日)。野球部員の生態を分析する「野球部研究家」としても活動しつつ、さまざまな媒体で選手視点からの記事を寄稿している。著書にあるある本の元祖「野球部あるある」(集英社)などがある。Xアカウント:@kikuchiplayer

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