石原良純 芸能界の恩人に晩年あえて会わず 「本当はどうだったのかな?と今でも思う」
2024年05月11日 15:18
芸能
熱心さと人の才能を伸ばす能力に長け、何より良純に母親のような深い愛情を注いだ三原さん。バラエティー番組だけでなく、コラム執筆やコメンテーター、気象予報士と、ユーモアと知性を兼ね備えた存在に育て上げたのは、三原さんの尽力だった。
そんな三原さんに、13年ごろから異変が起きたという。事務所で見かけた三原さんは、毛糸の帽子をかぶっていた。「明らかに調子悪いわけよ。毛糸の帽子かぶって。がんの放射線の治療したじゃん?分かるじゃん?バカじゃないんだから、俺だって」。良純の予感は的中した。三原さんは悪性リンパ腫に冒されていた。
良純は三原さんの性格を見越して、何も聞かなかったという。「1回も聞かなかった。何があったの?って。どう見たってがんの治療でしょう?向こうも1回も何も言わないよな。自分から言うことじゃないだろうし。どうしたの?って聞いても、言ったかどうか分からない。本当のこと言えよって詰め寄るわけでもない」。良純は粛々と仕事をこなしたという。
一時は体調も回復した三原さんだったが、病状は再び悪化。良純の収録現場にも来なくなり、電話で収録の様子を報告するだけになっていったという。良純はあえて見舞いに行かず、仕事に集中したという。そのうち、電話もつながらなくなっていった。
三原さんは19年に死去。三原さんの愛娘で、現在の事務所社長から報告を受けたという。良純は「本当はどうだったのかな?と今でも思う」と本心を明かした。
路頭に迷っていた良純を、あの手この手でもり立ててくれた、大恩人。良純は「三原っていたよねということ、素晴らしい人間がいましたということを、お披露目するのもいいかなって」と、三原さんについて語った理由を打ち明けた。「出会いなんですよ、人というのは。出会いがあって、人は1人ではいきていけないから。僕らの年になると、出会いもあるけど、確実に別れもあるということも分かってきて、まだまだ三原がうるさいから一生懸命やんなきゃなって」と気丈に話した。
番組には、三原さんの愛娘からコメントが届き、三原さんが良純に病状を伝えなかった理由も明かされた。「本当のことを伝えたら、良純さんは優しい人だから、本人が顔に出さないようにしても、心配だったり悲しい気持ちが顔に出てしまうだろう。良純さんには、笑って元気にテレビに映っていて欲しい。そのため、連絡が来ても入院していることは伝えないように。もし病状が悪化しても、お葬式が終わってから伝えるようにと言われました」。病床でも、良純の番組はチェックしていたといい、「夜、番組は必ず見ていたようです。クイズ番組などで良い成績を取った時には、プロデューサーに電話して、うれしいということを伝えていたと聞いています」ともつづられていた。
良純は「ずっといろんなことあってね。京都に行ってよく遊んだんだよね。京都で放っておくと俺が遊ぶから、付いて来て。めんどくせえなって。よく遊んだ。お酒も飲んだし。そうやって教わったから」と、三原さんとの思い出を回顧。あらためて「弱ってる時、死に目に会えなくてもいいんだよ」と、自分に言い聞かせるように話していた。