ヒートのスポールストラ監督に見る“人生の引き出し” コート上の悲劇に立ち会ってから33年
2023年06月06日 10:19
バスケット
彼の答えは私が予期したものとはずいぶん違っていた。
「テレビで悲しい出来事を見てしまったから。バスケをやると思い出してしまうんだ」
現在で言うところのトラウマなのだろう。彼がテレビで見たのは1990年3月4日に行われた全米大学バスケットボール男子のロヨラ・メリーマウント大対ポートランド大戦だった。
ロヨラ・メリーマウント大には全米大学得点王となったスター選手、ハンク・ギャザーズがいた。しかし試合中にアリウープのダンクを決めたあとに突然倒れて足をばたつかせ、病院に搬送されたものの死亡。もともと不整脈があって投薬治療を受けていたが、その薬の量を自分で減らしていたために、ついに試合中に重度の心臓発作に襲われて帰らぬ人となった。この試合はテレビでオンエアされており、スポーツ専門局のESPNは番組の途中に緊急ニュースとしてその悲報を伝えていた。
これ以後、米国内のスポーツ選手に「ハンク・ギャザーズ症候群」という症状がまん延。少し苦しくなっただけで「自分も死ぬかもしれない」といった恐怖感に襲われるという一種のパニック発作だったようだが、私がインタビューした選手もその1人で、それがバスケ断念への理由だった。
ギャザーズがコートに倒れ込んだとき、30センチ横という一番近い位置にいたのは対戦相手のポートランド大の2年生ポイントガードだった。
その名はエリック・スポールストラ。彼がやがてNBAヒートの監督になって2012年と13年のファイナルで優勝するとはきっと誰も思わなかったことだろう。
「場内が静まりかえっていたよ。そして僕は震えていた」
テレビで見た選手でさえ病的な恐怖を感じるのだから、世界で最も近い位置で悲劇を目撃することになった人間にとっては過酷と言えるほど辛い場面だったはずだ。
その悲劇を乗り越えたことが監督稼業にどれだけ影響しているのかはわからない。しかし人生の“引き出し”が他の人間より少し多いことだけは確かだ。彼は今、主力選手2人を故障で欠き、ドラフト外入団の4選手を起用しながら6度目のファイナルに臨んでいる。
ヒートは東地区最後のプレーオフ枠を争うプレーイン・トーナメントの初戦でホークスに敗れながら“セカンドチャンス”でブルズを下し第8シード)の座を確保。ところが戦力面で劣っているにもかかわらず、1回戦で第1シードのバックス、地区準決勝で第5シードのニックス、そして地区決勝では昨季のファイナルに進出している第2シードのセルティクスを最終第7戦にまでもつれこむ接戦で制して勝ち上がってきた。
地区7位の成績だったチームがファイナルに駒を進めたのはプレーオフ出場チームが12から16に拡大された1984年以降では初めて。第8シードのファイナル進出も1999年のニックス以来、24年ぶりだった。そのニックスはファイナルでスパーズに1勝4敗で敗退。唯一の勝利は地元ニューヨークで挙げたものだった。
ヒートは4日、敵地デンバー(コロラド州)で西の第1シード、ナゲッツを111―108で下して1勝1敗。第8シードのチームがファイナルでのロードゲームで勝利を挙げたのはこれが初めてとなった。
スポールストラ監督は15シーズン目で、ナゲッツを率いるマイケル・マローン監督(52)はキングス時代を含めるとNBAの指揮官としては10シーズン目。地区決勝で敗れたセルティクスのジョー・マズーラ監督(34)とレイカーズのダービン・ハム監督(49)はともに1年目の新任指揮官で、今年に限ると監督の“経験値”が豊富な方に軍配が上がっている。
ハム監督はプレーオフでの八村塁(25)の起用方法については「なぜ先発させないのか?」と米国のメディアも疑問視する見解を示していた。マズーラ監督も大黒柱でもあるジェイソン・テータム(25)への攻守両面での負担の多さを指摘されるなど、ローテーションにおいては及第点を与えられていなかったように思う。
皆さんの近くでも「有能な監督が教えている学校が強く、その監督が転任するとその学校がまた強くなる」という現象がどんなスポーツでも起こっていないないだろうか?
監督に必要な要素はさまざまだ。戦術と技術的な指導力がすぐれているか?選手との意思疎通がうまくできるか?大事な局面で的確な指示を与えることができるか?選手から信頼されるための“言葉”を持っているか?
選手の評価と違って数字では表せないだけに有能な監督とはこうなのだ…と説明するのはとても難しい。それでも人生で得た教訓をきちんと自分の引き出しにしまっている人は、自分で意識しなくてもどこかで何かしら結果を生み出していると思う。
ヒートは1勝1敗で地元マイアミ(フロリダ州)で第3戦と第4戦を戦うが、すでに圧倒的に有利とされていたナゲッツからホーム・アドバンテージを奪取。もしリーグ制覇を達成すれば、1995年に王者となったロケッツ(西の第6シード)を超える最下位シードの優勝となるだけに、スポールストラ監督の手腕が注目されるところ。そして逆境に直面したマローン監督はどうやって“逆襲”に転じるのだろう?77回目を迎えたNBAファイナル。まだまだ新たなドラマが残されているような気がしてならない。
◆高柳 昌弥(たかやなぎ・まさや)1958年、北九州市出身。上智大卒。ゴルフ、プロ野球、五輪、NFL、NBAなどを担当。NFLスーパーボウルや、マイケル・ジョーダン全盛時のNBAファイナルなどを取材。50歳以上のシニア・バスケの全国大会には7年連続で出場。還暦だった20238年の東京マラソンは5時間35分で完走。
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