【昭和の甲子園 真夏の伝説(2)】猛暑の聖地で咲いた桜美林 60年ぶり“東大決戦”劇的サヨナラV

2022年08月07日 17:30

野球

【昭和の甲子園 真夏の伝説(2)】猛暑の聖地で咲いた桜美林 60年ぶり“東大決戦”劇的サヨナラV
延長11回、PL学園にサヨナラ勝ちで優勝を決め、歓喜の桜美林ナイン Photo By スポニチ
 甲子園の熱い夏が始まった――。第104回全国高校野球選手権が6日に開幕。幾多の名勝負が繰り広げられた聖地で、今年はどんなドラマが生まれるのだろうか。今回は「昭和の甲子園 真夏の伝説」と題して、今も語り継がれる伝説の試合を10回にわたってお届けする。
 真夏の甲子園に“桜”が咲いた。1976年(昭和51年)の58回大会は高校球界のスターたちが集う注目の大会となった。プロが熱い視線を注ぐ投打の目玉は東海大相模(神奈)のスラッガー原辰徳(現巨人監督)と海星(長崎)の剛球右腕、サッシーこと酒井圭一。ドラフト1位候補がしのぎを削った13日間の激戦の末、8月21日の決勝に進出したのは5度目の出場で悲願の初Vを目指す大阪・PL学園と初出場の西東京・桜美林。60年ぶりの「大阪―東京」決戦は延長の末…。

~60年ぶりの東京―大阪対決 プロ候補不在の桜美林が~

 平成の30年間、東西東京の代表は5度(帝京2、日大三2、早実1)夏の甲子園を制している。大正時代は優勝1度(慶応普通部)準優勝2度(慶応普通部、早実)。だが昭和の東京勢は…。昭和2年から同50年まで約半世紀、決勝に進出することすらできなかった。昭和に入って51年目の夏。厚い壁を突き破って大舞台に立ったのは初出場、14人の平均身長が1メートル70、プロ候補など1人もいない桜美林だった。

 相手は準決勝で大会最強右腕といわれた海星の酒井を打ち砕いたPL学園、西の横綱だ。甲子園は地元PLの初Vを願う観衆で埋まった。初回、桜美林の攻撃。その5万6000人からため息が漏れた。1死から安田昌功が右前打。続く渋谷博の一ゴロで二塁へ進む。打席は4番で主将の片桐幸宏。エース中村誠治から左前へタイムリーを放った。

 先手を取った桜美林だったが、4回エース松本吉啓が捕まる。山本の右前打を足場に4番・黒石に同点タイムリーを浴びる。さらに水谷の左越え二塁打と守備の乱れでこの回3点を失う。PLの圧力に押しつぶされそうな流れだったが桜美林ナインはひるまない。前日の準決勝後、浜田宏美監督が「地元のチームでやりにくいなんてことはない。そんなことで気後れする子どもたちじゃありませんよ」と語ったように、西の横綱に果敢に挑んでいった。
 7回、古本幸次の代打・菊池太陽が左越え二塁打。中田光一は三ゴロに倒れたが、村田淳の二塁内野安打で1死一、三塁とした。ここで安田が左越えへ会心の二塁打。2者を迎え入れ同点とした。エース松本がPLの攻撃をかわす。4連投の疲れは隠せなかったが、終盤の7回と9回、巧みなけん制でピンチを脱した。延長戦。初出場での栄冠は手の届くところにあった。

~サヨナラ勝ちで西東京制覇 創部30年目の夏切符~

 洗練された校歌と洒落たユニホーム。甲子園で勝ち進むにつれ桜美林の名は浸透していったが、この大会まで甲子園では「ほぼ無名」であった。67年と73年のセンバツに出場しているが初戦敗退。聖地に校歌は流れていない。片桐主将を中心に新チームとして臨んだ75年秋の東京大会、準々決勝で修徳に惜敗。3度目の春を逃している。猛練習を重ね、76年春は3度の逆転ゲームで関東大会を制した。悲願の夏へ、西東京の激戦を勝ち抜いた。日大二との決勝では0―3のリードを奪われながら8回に追いつき9回は1死満塁から中田の左前打。サヨナラ勝ちで創部30年目、夏切符をつかんだ。

~スター揃いの注目大会 原がいたサッシーがいた~

 8月7日の組み合わせ抽選会。最後の甲子園制覇にかける東海大相模の原と海星・酒井が握手する記念撮影には報道陣が群がった。原は東海大4年時の80年巨人ドラフト1位。酒井は大会後の秋、76年ヤクルト1位。この大会に出場して1位指名された選手は他にもいる。秋田商の武藤一邦(南海1位=入団拒否)崇徳の山崎隆造(広島1位)同黒田真二(日本ハム1位=入団拒否)柳川商(現柳川)の久保康生(近鉄1位)立花義家(クラウンライター1位)銚子商の2年生・尾上旭は中央大4年時の81年ドラフトで中日に1位指名されている。

~日大山形を完封し初校歌 原も春の覇者・崇徳も消えた~

 キラ星の大器たちが集った大会を無名の桜美林が静かに進撃していく。初戦(2回戦)は松本が日大山形を完封。センターポールに校旗を掲げ、校歌を歌った。「この歌を甲子園で聞くことが残されたただ一つの夢だった」。アルプススタンドでは作詞者でもある86歳の清水安三学長が目を赤くしていた。念願だった1勝を手にして「気が楽になった」(片桐主将)ナインが弾けた。3回戦は地元の古豪・市神港との接戦を制した。8強は出そろったが、東海大相模の原は2回戦敗退。ドラフト1位コンビの久保、立花がいた柳川商、黒田、山崎がいる春の覇者・崇徳も3回戦で姿を消していた。

 準々決勝は2年前の優勝校・銚子商(千葉)。渋谷、片桐、松本のクリーンアップで6安打。松本は3安打1打点、投打で活躍。銚子商の「3番・遊撃」後のセ・リーグ本塁打王・宇野勝(元中日)を3打数ノーヒットに封じ込めている。

~準決勝は星稜の剛腕・小松辰雄を撃破~

 準決勝の相手は石川・星稜。2年生エースは後に中日で122勝50セーブを挙げる小松辰雄。剛速球右腕と激突した。同点の3回1死から死球の渋谷を一塁に置いて、片桐が右翼線へ勝ち越しの三塁打。初回から6回まで毎回の8安打を集中し4得点。小松を攻略した。星稜・山下智茂監督は「桜美林の気迫
に負けた」と脱帽した。

 優勝候補といわれたPL学園も厳しい戦いを勝ち上がってきた。初戦の松商学園戦では中村誠治が1安打完封。1メートル73、69キロ。5月に右肩を痛め退部も考えたという細身のエースが1点を守り切った。3回戦の相手は柳川商。エース久保と1番・立花はドラフト1位候補。4番の末次秀樹は2回戦の三重戦
で4打数4安打。超高校級の優勝候補に中村が立ちはだかった。末次に4打数4安打。通算8打席連続安打の甲子園新記録は許したが、再び1―0の完封勝利。準々決勝では古豪・中京(現中京大中京)。準決勝では延長11回の死闘を制し、海星・酒井圭一を沈めた。7年ぶりの決勝進出。悲願の初Vへ思いはPLも同じだった。

~バントのサインから「打て」に変更 延長11回劇的結末~

 あの1969年(昭和44年)三沢―松山商以来の決勝延長戦。10回桜美林は2死満塁のピンチを迎えるもエース松本が切り抜ける。11回、先頭の本田一が中前打。続く菊池への浜田監督のサインは「送りバント」だった。初球見送り1ボール。2球目「最初バントのサインから、打てになったので力いっぱい振った」という菊池は伸び上がるように高めの球を強振。打球は左翼ラッキーゾーンの金網に当たる。金網に衝突した左翼・羽瀬が打球を見失う間に一塁走者の本田が本塁へ頭から飛び込んで生還した。サヨナラ勝ちの日本一。60年のときを越えて東京の球児の手に深紅の大旗が渡った瞬間だった。

 「下手は下手なりに力いっぱい努力してきた。うまい者なんて1人もいなかった」と片桐主将。桜美林ナインは2日後の24日午前10時43分、新幹線ひかり166号から東京駅に降り立った。午後零時31分、丸の内の旧都庁舎であいさつを終えるとオープンカー8台に分乗し、銀座から渋谷へ昼時の都心をパレード。熱狂的な歓迎を受けた。地元町田市ではハト400羽が舞い上がり、花火が打ち上げられた。夏に満開となった「桜の伝説」。昭和唯一の偉業の記憶は今も薄れていない。

~高校選抜はサッシー、小松、赤嶺らが集結~

 〇…決勝戦後、韓国遠征の高校選抜メンバーが発表された。投手陣では優勝投手の桜美林・松本吉啓、怪物・酒井圭一、星稜の2年生エース小松辰雄、この秋のドラフトで巨人に2位指名される豊見城の赤嶺賢勇が選ばれた。内野手は2回戦で敗退した東海大相模から原辰徳ではなく開幕の釧路江南戦で2本塁打を放った津末英明が選出された。外野手では秋田商の武藤一邦。この年のドラフトで南海に1位指名されるも拒否。法大から80年に2位でロッテ入りする。

 【昭和51年出来事】1月=中国・周恩来首相死去 6月=モハメド・アリ―アントニオ猪木 7月=モントリオール五輪体操団体5連覇、ロッキード事件田中角栄前首相逮捕 9月=中国・毛沢東主席死去▼プロ野球=セ巨人、パ阪急▼ヒット曲=「およげ!たいやきくん」「北の宿から」「ペッパー警部」

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