×

阪神・岡田監督の元参謀が語る 指揮官の実像と大山&木浪の若手時代秘話

2023年10月07日 05:15

野球

阪神・岡田監督の元参謀が語る 指揮官の実像と大山&木浪の若手時代秘話
阪神・岡田監督にエールを送った大経大・高代監督
 日本一を目指す岡田阪神を、力強くバックアップ!スポニチでは「あの素晴らしいアレをもう一度」と題し、阪神にゆかりのある各界の有志から届いたエールを随時掲載する。トップバッターは、岡田彰布監督(65)がオリックス監督時代の2011年から2年間、1軍ヘッドコーチとしてともに戦った高代延博氏(69=大経大野球部監督)。自らが指導した大山、木浪の若手時代のエピソードを披露し、岡田監督の手腕に期待を寄せた。 (構成=鈴木 光特別編集委員)
 18年ぶりの優勝に、甲子園で喜びを爆発させた選手の顔が忘れられない。14年から7年間、阪神の1軍と2軍でコーチを務めた。多くの選手たちと共に汗を流した。努力を重ねて、たどりついた頂点。それぞれ特別な思いがあったはずだ。

 大山悠輔との初対面は17年のキャンプだった。金本知憲監督からは「右打者としてNo・1の評価をしている。しっかり鍛えてください」と頼まれた。プロとしての体をつくるために、注文通りにみっちり鍛えた。全体練習の前に400本のティー打撃、下肢と上肢の強化メニューを交互にこなすことを日課にした。体をフラフラにさせながら、弱音を吐かずに黙々と取り組んでいた。おとなしいが、芯の強さを感じさせた選手だった。

 ドラフト1位という看板を背負い、今季は阪神の4番というプレッシャーと闘ってきた。入団以来、どんな時でも手を抜くことがなかった。「野球はいつ何が起こるか分からない。凡打しても全力疾走するんだ」とマンツーマンで取り組んだ走塁を、今も大事にしていることはプレーに表れている。

 「恐怖の8番」としてブレークした木浪聖也の努力も報われた格好だ。入団は高卒の小幡竜平と同期。遊撃手としてのセンスは小幡の方が上だった。アマ時代は三塁が主で「遊撃としての練習は初めて」とも言っていた。それでも反復練習を繰り返し、安定感のある守備をモノにした。ここまでよく頑張った、と思える選手だ。

 選手たちの継続した取り組み、ドラフトを重視した球団の姿勢の積み重ねの上に、復帰した岡田彰布監督の勝負眼が加わっての優勝だった。オリックス監督時代に2年間、ヘッドコーチとして仕え、プライベートな時間も多く共にした。記憶力は抜群だし、野球に関する見方は鋭い。動くだけでなく我慢もできる監督だった。基本は守りの野球。併殺プレーの練習では常に速い球を投げることを徹底し、挟殺プレーでは「声を出したらあかん」と指示していた。声を掛け合う癖をつけると、声を頼りにするからプレーが遅くなる。守備練習でもスピード重視を徹底していた。

 大経大でも守備にウエートを置いている。打つだけではダメ。しっかりとした守備力をつけ、ミスから崩れることのないチームを目指している。阪神とオリックスがリーグ優勝して、関西の野球熱の盛り上がりは感じている。ここまで来たら、日本シリーズの関西決戦に期待したい。岡田監督と中嶋聡監督がどんな準備をして臨むのかも、野球人として注目している。 (大経大野球部監督)

 ▽岡田監督と高代氏 高代氏は2009年WBCで内野守備走塁コーチとして連覇に貢献した指導力を買われ、10年11月、1年目シーズンを5位(69勝71敗4分け)で終えた岡田監督率いるオリックスの1軍ヘッドコーチに就任。岡田監督の参謀役としてチーム強化に尽力したが、ともに戦った2シーズンは11年4位(69勝68敗7分け)、12年最下位(57勝77敗10分け)と結果を残せず。12年9月25日のソフトバンク戦(京セラドーム大阪)の試合前に、岡田監督とともに球団からシーズン途中休養を言い渡され、オリックスを去った。

 ◇高代 延博(たかしろ・のぶひろ)1954年(昭29)5月27日生まれ、奈良県出身の69歳。智弁学園から法大、東芝を経て78年ドラフト1位で日本ハム入り。遊撃手として79年にダイヤモンドグラブ賞、80年にベストナイン。89年に広島へ移籍し、同年限りで引退。通算成績は917試合で打率.256、57本塁打、346打点。引退後は広島、中日、日本ハム、ロッテ、韓国ハンファ、オリックス、阪神でコーチを歴任。09年、13年WBC内野守備走塁コーチ。今年から大経大野球部監督に就任。

おすすめテーマ

2023年10月07日のニュース

特集

野球のランキング

【楽天】オススメアイテム