【内田雅也の追球】痛恨だった4回の逸機 「普通」にできるまでの「辛抱」は続く

2024年03月31日 08:00

野球

【内田雅也の追球】痛恨だった4回の逸機 「普通」にできるまでの「辛抱」は続く
<巨・神>敗戦し、引き上げる阪神・岡田監督 Photo By スポニチ
 【セ・リーグ   阪神0ー5巨人 ( 2024年3月30日    東京D )】 開幕連敗を喫した阪神監督・岡田彰布は足取りも重く、「しんどいなあ」と言いながら地下通路を歩いた。エレベーターの前で「まず1点よ」と漏らした。「点を取るところからよ」
 確かに0点では勝てない。阪神が開幕から2試合連続零敗を喫するのは何と1988(昭和63)年以来36年ぶり2度目である。広島の北別府学、大野豊―津田恒実のリレーに18回無得点だった。

 88年。1月に阪神担当に就任した年である。駆け出しのトラ番だった。

 泥沼のシーズンだった。ランディ・バースは長男の重病から途中退団し、掛布雅之は7月から2軍に落ち、シーズン後に引退してしまった。代わって4番に入り、奮闘していたのが岡田だった。

 バース、掛布、岡田のトリオから独り残った岡田は当時「できることをやる。それしかないよ」とよく話していた。

 昔も今も、選手でも監督でも「やれることをやる」「普通にやる」姿勢は変わっていない。

 前夜の零敗を受けて先取点への強い思いは見えた。「先に点取っていたら、全然違う展開になっていた」と岡田は言う。

 痛恨だったのは4回表の逸機である。1死一、三塁で坂本。初球セーフティースクイズを仕掛けたが、バントは小飛球、それでも三塁走者・大山悠輔は本塁に突っ込み、一塁手・岡本和真のダイブ捕球もあって併殺に終わった。坂本のバントも大山の走塁も1点への思いが焦りとなって出ていたように映った。昨年は「普通に」できていたことが「普通に」できない状態にある。

 あの88年当時、監督は村山実だった。当時、色紙には「辛抱」と書いていた。85年日本一メンバーが衰え、87年は球団史上最低勝率での最下位。若手へ世代交代を進める苦しい時期だった。

 現役時代の村山は「球道一筋」と書いていた。大阪・玉造の実家に飾られていた色紙から、岡田も座右の銘としている。

 ただ昨年までは「道一筋」としていた。「球」の字を分解すれば「王を求める」と読めると気がひけたのだった。昨季日本一となり「王」を求める資格もあるだろう「球」を加えたのだった。

 最下位翌年の88年と日本一翌年の今年ではチーム状況は天と地ほど異なる。ただし、ゼロ行進が続く現状は「普通に」できるまでの「辛抱」が強いられている。 =敬称略=
 (編集委員)

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