フライボール革命、守備シフトをもたらしたスタットキャストの歴史とは 次に来るのは選手の四肢のデータ化

2024年07月12日 09:40

野球

フライボール革命、守備シフトをもたらしたスタットキャストの歴史とは 次に来るのは選手の四肢のデータ化
ドジャース・大谷翔平 Photo By スポニチ
 スポーツ専門サイト「ジ・アスレチック」がMLBを変えたといわれるスタットキャストの歩みを報じている。
 発端は01年ア・リーグ地区シリーズで起きたデレク・ジーターの有名な守備。フィールドを横切り、暴投となった右翼手の返球を右手でつかみ捕手にバックトス、ジェレミー・ジアンビをタッチアウトにし、ヤンキースのリードを保った。翌朝、MLBのオフィスでは議論が起き、ある幹部が全ての動きを計測できないかと問いかけた。最初に開発されたのは投手の投げた球の速度と動きを追跡するカメラシステムPITCHf/x、07年に全球場に設置され、大量のデータを生み出しピッチング革命を引き起こした。これに続いたのがフィールド上の全選手とボールの位置、軌跡を追跡するシステム。2つの欧州企業の技術が組み合わさった。スウェーデンのカイロンへゴは、フィールドを立体視する4Kカメラを持っていた。デンマークのゴルフ会社トラックマンは、ミサイル追跡レーダーの技術者が作ったボール追跡デバイスを持っていた。こうしてスタットキャスト第1段階では、打球速度、打球角度、スプリント速度、野手の守備範囲といったデータを提供するようになった。

 新しいデータは選手のスキル分析に役立ち、スカウトの仕事を助けた。原始的なバージョンのスタットキャストは14年のホームランダービーでデビュー。データは普及し、野球用語も拡大していく。球団は膨大なデータに対応するためアナリティクのスタッフを増員、スカウティングや選手育成の手法も変わった。打者はボールを空中に飛ばすためにスイングを改良。打球と守備位置に関するデータは守備シフトの使用を加速させた。16年、左打者は走者なしの状況で30.3%の確率でシフトされていたが、その率は6年で倍増し、61.8%に跳ね上がった。一般のファンもデータを利用できるようになった。

 ヒューストンのハリス郡地方検事局のソフトウェアアーキテクトだったダレン・ウィルマンが、高度な統計検索機能を提供するサイト「ベースボールサバント」を作成。MLBはウィルマンを雇い、彼のサイトを買収している。20年、カイロンへゴとトラックマンのシステムは、テニスのリプレーで知られるホークアイの光学追跡システムに取って代わられた。ホークアイは当初、各球場に12台のカメラを設置し、それぞれ50または100フレーム毎秒で動いていたが、23年には300フレーム毎秒のカメラ5台に置き換えられ、バット軌道の追跡も可能になった。

 記事は、次に来るのは選手の四肢の動きの追跡だと予測する。今後数年間で、例えば大谷翔平が手足をどう使っているのか、細かいデータが出るようになる。それをアナリストが研究し、他の選手のメカニクスの改善や、若い選手の育成につなげていくのである。

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