立大・木村監督が特別な思い胸に岩手・陸前高田で夏季キャンプ「復興はまだまだ続いている」

2024年08月05日 06:00

野球

立大・木村監督が特別な思い胸に岩手・陸前高田で夏季キャンプ「復興はまだまだ続いている」
キャンプ地の球場入りした立大・木村監督 Photo By スポニチ
 東京六大学野球の立大で今季から指揮を執る木村泰雄監督が、東北に「凱旋」した。1日から仙台でオープン戦を行い、キャンプ地の岩手・陸前高田市に移動。高田松原球場を拠点に、約2週間、秋のリーグ戦に向け、鍛錬を積む。
 「私も東北で勤務してましたし、石巻で5年間指導していた。東北の空気はよく分かっているし、懐かしい。落ち着いた感じで私自身はできるかなと思います」

 木村監督は09年から5年間、社会人野球の日本製紙石巻で監督を務めた。10年に都市対抗野球に初出場。「石巻が盛り上がって宮城からたくさん応援に来てスタンドが全部埋まった。それだけの人が来てくれた。石巻から大勢の人が来てくれた」と回想する。1回戦で敗れたが、大舞台の経験は翌年に生きる。そんな手応えをつかんだ1試合だった。

 ところが―。翌年3月に東日本大震災に見舞われた。当時は東京遠征中で「なかなか情報が入って来なかった。一番は石巻がどうなっているのかなということ。一生懸命情報集めようとしてたけど、なかなか入って来なかった。選手、スタッフの家族の状況を一番知りたかった」。石巻に戻れたのは3月30日だった。

 「ニュースで見ていましたけど、実際自分の目で見て、言葉が出なかった。生活を含めて工場が復興するのも大変だし、とても野球なんかやれる状況ではないなと思った」

 そんな状況の中、野球部は地域のために動いた。がれきの撤去などのボランティアを買って出たのだ。石原軍団が炊き出しに来た際には、会場でサポートした。「我々が石巻で野球をやっている中で、地域とのつながりを深めていこうとやっていた。震災の後もできる限り、工場の復興も地域の復興も含めて我々ができることは何かなと考えた」。ナインたちは生活面の不安が残る中でも、都市対抗での声援をもらった恩返しに没頭した。

 野球道具が流された子供たちのために、各地からボールやバットなどを送ってもらい、野球教室で配った。「野球を続けてください」と言葉をかけ続けた。地域の人たちからは「野球部の皆さん、頑張ってね」と声をかけられた。背中を押された。

 10年に初出場した都市対抗の第1代表の証である「青獅子旗」は、工場内に保管されていたが、津波で流されてしまった。がれきの撤去作業をこなしていたとき、奇跡的に旗が見つかった。泥だらけになった記念の旗をみんなで洗った。13年の都市対抗では2勝を挙げ8強入りを果たした。復興のシンボルになり「地域の方も喜んでくれたし、小野賞をいただいた。市長に報告しに行ったりしました」と振り返る。

 石巻市と同様、震災で甚大な被害にあった陸前高田市でのキャンプ。地域とのつながりは、今も大事にする。キャンプ期間中に、野球教室も開催予定だ。「毎年、行く度に復興していく様子、景色が変わっている。石巻も陸前高田もそう。毎年、まだまだ続いているのかなと思う」。

 春季リーグ戦は15試合を戦い、6勝8敗1分けの5位だった。「キャンプでは競争とレギュラー争い。特に野手で、打撃中心にして得点力を上げられるようなキャンプにしたい」。特別な場所で過ごす夏。あのときと同じように、底力を見せられるチームづくりに励んでいる。(川島 毅洋)

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