竹田恒泰氏 祖父から聞いた「バロン西」の知られざるストーリーを紹介 「重傷」の知らせが実は…
2024年08月04日 20:26
芸能
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この話題に触れ、「熱く語りますよ」と竹田氏が力を入れるのは当然だ。祖父・恒徳さん(竹田宮恒徳王)と西さんは陸軍幼年学校時代から先輩後輩の関係。西さんが6学年上で、馬術の腕前を一緒に競っていたという。「西さんという方はものすごく破天荒で、カリスマ性があって、カッコいい遊び方をする人だったらしいんですね。馬術の技法が天才的だったと言われています」
西さんがロサンゼルスの夢舞台に臨んでいた当時、竹田家一族は軽井沢に滞在。西家と竹田家は家族ぐるみの親交があり、五輪の結果を全員で心待ちにしていた。すると、恒徳さんのもとに、ある新聞社から電話が入り、「竹田さん、大変です。西さんが重傷です」という、まさかの連絡が届いた。
馬術は危険な競技。報を聞いた誰もが、不測の事態を想像した。恒徳さんは慌てて、西一家が滞在する別荘へ。西さんの妻に伝えたところ、「馬で転落して重傷って、生死をさまよってんじゃないかって、(奥さんは)泣いちゃって大変だったらしんです」
しかし、その涙は、同じ新聞社からかかってきた2本目の電話で意味合いが変わる。「竹田さん、すみません。重傷じゃなくて、優勝でした」
当時は、海外との通信手段も限らていた時代。電報の文字が違っていたことで、生まれたサイドストーリーだった。「で、また(祖父が)西家に行って、泣き崩れている奥さんに“重傷じゃなくて、優勝でした”って伝えて、みんなで万歳、万歳ってやったらしいって、私、祖父から聞きました」と、どこか嬉しそうに竹田氏は明かしていた。