相次いだトラブル 名門衰退招いた放任主義 担当記者が見た高砂親方

2023年11月04日 04:43

相撲

相次いだトラブル 名門衰退招いた放任主義 担当記者が見た高砂親方
2003年1月、大相撲初場所で優勝し、高砂親方の差し出す祝杯を舌を出して受ける朝青龍 Photo By スポニチ
 【元大関・朝潮の長岡末弘さん死去 】 華やかな力士人生とは対照的に師匠としての長岡さんは弟子の不祥事がつきまとう波瀾(はらん)万丈のものだった。
 90年に若松部屋を創設し、2002年2月には名門高砂部屋を吸収し、自ら第7代「高砂」を襲名。翌年は愛弟子の朝青龍が自らがなしえなかった横綱昇進を果たした。しかし、その朝青龍が土俵内外で問題行動を連発。師匠としての「責任追及」の嵐に巻き込まれることになった。

 サッカー騒動で世間を騒がせた07年夏、長岡さんは広報部長の要職に就いていた。報道陣の批判の矢面に立たされていても「大ちゃん」節は健在。朝青龍が温泉療養としていたモンゴルにも出向くと、帰国会見では温泉施設での感想を問われ「お肌がツルツル」と衝撃発言。温泉の感想ばかりを述べるKY発言が物議を呼んだ。

 稽古後は風呂場に何時間もこもるほどで大の風呂好き。弟子のことより自分の関心事を優先させる憎めない一面ものぞかせていた。稽古中は、上がり座敷で新聞を長時間読みふけるのがルーティン化。「力士に伸び伸びとやらせたいだけなのに…」と主張するが、自主性を重んじた放任主義が名門衰退を招くことになった。

 朝青龍の引退後、一時は弟子の育成にも消極的な時期もあったが、母校の近大から有力力士も集まり朝乃山が大関にまで出世した。しかし、その有望株も新型コロナウイルスの感染防止ガイドライン違反で出場停止。自らも同じ過ちで相撲協会を去ることになったのは皮肉としか言いようがない。 (相撲担当・黒田 健司郎)

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