乳がん闘病中・梅宮アンナ 次のステップの治療へ 体重も増加「病院での思想、理念…考えに大変マッチし」
2024年09月13日 12:24
芸能
こうした考えについて「私の思想や、行動が自分にはやはり良かったのかなって」と梅宮。「私が只今お世話になっている病院での思想、理念、私は自分の考えに大変マッチしていた事によって、私はそこからスタートして。。病気を理解して、差し出された私の治療メニューをキチンと理解をして、キチンと主治医の先生方の考えに真面目に取り組みました」という。
「死がよぎりますからね。時には、頭で理解していても、心がついていかない時もありました。抗がん剤治療は、誰でもキツイです。もちろん個人差は、あります。受け入れ体制が元々ある方ない方でも違いがあるかとも思います。元々ネガティヴに考えてしまうと更にキツイかなと。。」と、苦しさが伴う中でも「これは、私を助けてくれるお薬って私は考えていたから、ポジティブに考えて今でも苦しくても同じくその想いは変わっていません」と、気持ちを真っすぐに持ち続けていたそう。
また「癌と言う言葉や、癌と言うモノを私は小さい頃から、浴びて育ったのです。梅宮一族、祖父から始まり父親、叔母達、叔父、そして、私の姉的な存在も、大きかったかな。姉的存在。は、小児がんでした。小さい頃からいつも側にいたから私は父親の癌よりみーちゃん『姉的存在』の壮絶な癌、それ癌も小児がんも聴いて育だったのです」と、がんが身近な病気であったことも大きい。「抗がん剤、手術、放射線、脱毛、私の周りは皆そうやって壮絶でしたが、標準治療をして社会生活に戻って行きました。だからでしょうか。私に巡って来た時、パニックにはならなくて、既にやるべき事は、わかっていた」と、がんと診断されたときの心境を振り返った。
「みーちゃんのご両親から我が父は病院を紹介されて、、父、梅宮辰夫は、みーちゃんと、同じ病院でした。そして、私は2024年7月、50年の歳月が流れ、、2人がお世話になった病院に、不思議と流れてついた私でした。まさか同じ場所だとは。。。運命ですかね」と、病院にも縁が。梅宮は、その他にも自身の生い立ちや幼少期の環境を紹介し、がん治療への前向きな思いを重ねた。