準決敗れても我慢したけど…最後はやっぱり“泣き虫愛ちゃん”
2016年08月18日 05:30
五輪
責任感だけで戦っていた。銅メダルが決まって泣きじゃくる福原の右太腿には、テーピングが施されていた。ユ・モンユに敗れた第1試合、アドレナリンではごまかせない異変が起きた。緊急処置。ダブルスは痛々しい姿で戻り、痛みのあるまま伊藤とともに戦った。試合後に明かしたのは「筋膜炎と骨膜炎です」。骨膜炎は右すねとみられる。4強入りしたシングルス後に悪化。太腿は肉離れの一歩手前だった。
ずっと気丈に振る舞ってきた。昨年9月に村上監督からナショナルチームの主将を命じられてからだ。女子は各選手が個人コーチやトレーナーを雇い、チームという感覚は薄い。10歳以上離れた選手もいる。どうやって一体感を持たせるか。悩んだ。気遣いの人は気疲れでパンクした。日頃ダブルスを組む若宮三紗子に悩みを打ち明けた。
「年上だから引っ張らないといけないけど、もう限界と言っていました。弱音を吐く人ではないのでビックリしました」
コート外で神経を使い、それが成績低迷につながった。ロンドン五輪で仲間を引っ張った平野早矢香さんに本心を漏らした。1カ月前のことだ。
「今までキャプテンをした方の重圧が分かったと言っていました」
焼き肉決起集会では“焼き奉行”を務め、2月23日の石川の23歳の誕生日にはサプライズケーキを用意。ずっと探してきたリーダー像に一つの結論を出してリオで戦った。テーマは「負けても勝っても動じない」ことだ。
準決勝でドイツに敗れた後も泣かなかった。東京五輪に向けていい形でバトンをつなげるために、前を向いた。「メダルを逃したら、私や佳純ちゃんはもちろん、美誠に4年間しこりが残る」
主将としてつかんだメダルを喜び「銅のうれしさの余韻に浸りたい」と今後への明言を避けた。初出場だった04年アテネ五輪の時は愛称“チビ愛”。4度目の五輪はチームをまとめた。でも変わらないものもある。メダルが決まると号泣、号泣…。やっぱり最後は泣き虫愛ちゃんだった。