長野五輪で正式採用から24年 日本スノボ界の父・小倉一男氏 平野歩夢の金メダルに歓喜

2022年02月12日 05:30

スノーボード

長野五輪で正式採用から24年 日本スノボ界の父・小倉一男氏 平野歩夢の金メダルに歓喜
「スノーボードの父」ジェイク・バートン氏(右)と肩を組む小倉一男氏(小倉氏提供) Photo By 提供写真
 【北京五輪第8日 スノーボード・ハーフパイプ男子決勝 ( 2022年2月11日    雲頂スノーパーク )】 98年長野五輪でスノーボードが初採用されてから7大会目。ついに日本に金メダリストが生まれた。他種目にも有力選手がそろっており、今や世界屈指のスノーボード大国と言える日本。その礎を築いたのが、「日本スノーボード界の父」であるバートン・ジャパン初代社長の小倉一男氏(74)だ。
 諸説あるスノーボードの起源だが、77年に会社を立ち上げ製造を始めた故ジェイク・バートン氏が「スノーボードの父」と呼ばれる。そのバートン社製板を82年に初めて輸入したのが小倉氏。父が営む貿易会社から「何か面白いものがあれば」との依頼を受けたのがきっかけ。95年1月にはバートン・ジャパンの初代社長に就いた。

 時はスノボブーム真っ盛り。小倉氏は競技団体の理事としても、普及や競技会の整備から、“ボーダーさんお断り”のゲレンデを回って門戸開放へ理解を求めるなど奔走。迎えた98年長野五輪。バートン氏と一緒に開会式やハーフパイプを観戦した。IOCが国際スノーボード連盟ではなく国際スキー連盟(FIS)を統括団体に指名したことに端を発してさまざまな混乱を招いたが、「今振り返れば、五輪競技になるのは必然だったと思う。ジェイクも五輪を目指すことは頭になかったと思うが、同じ思いではなかったか」と話す。

 HP当日は土砂降りの雨。もう1種目の大回転は大雪の中で決行され、トップ選手が軒並みタイムを落として結果は番狂わせ。競技終了後ももめにもめた。大混乱だった第一歩。それでも「創造性と個性こそスノボの良さ」と信じる小倉氏はJOCに訴え、ユニホームはつくらず選手が思い思いのウエアで出場することを実現。せめてもの意地だった。

 あれから24年。HPの技は高回転時代に入り、競技性は色濃くなった。それでも4年に一度のショーケースたる五輪が、スノボを認知度を高めてくれることは紛れもない事実。19年11月に65歳で亡くなったバートン氏の思いを「僕が語るのは口幅ったい」としつつも、「ジェイクの存在がなければ今のスノボはない。彼の思いを日本で広めるのが僕の使命だった」と語る小倉氏。バートンライダーでもある平野歩夢の金メダルに沸くスノボ界を、草葉の陰から見守るバートン氏とともに喜んでいる。

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