迫田穆成さん死去 84歳 広島商の監督、主将として甲子園優勝 マジックで作新“怪物”江川を攻略

2023年12月02日 05:00

野球

迫田穆成さん死去 84歳 広島商の監督、主将として甲子園優勝 マジックで作新“怪物”江川を攻略
1973年に夏の甲子園を制した広島商ナイン、迫田監督は前列右から2人目、捕手の達川は後列右から3人目 Photo By スポニチ
 広島商、如水館(ともに広島)の監督として甲子園に春夏通算14度出場し、竹原(広島)の監督を務めていた迫田穆成(さこだ・よしあき)さんが1日、がんのため広島県三原市内の病院で死去した。広島県広島市出身。84歳だった。
 広島商主将として1957年夏の甲子園大会で優勝。母校の監督としても73年夏の甲子園で頂点に立った。準優勝した73年春の選抜では「新チーム結成以来、139イニング連続無失点中」だった作新学院(栃木)の江川卓と準決勝で対戦し、ヒットエンドランや重盗を仕掛けて「怪物」を攻略して2―1で勝利。当時33歳で、「迫田マジック」と呼ばれた。創部から携わった如水館でも監督として8度の甲子園出場に導き、弟・守昭氏(現福山監督)との兄弟監督としても注目を集めた。

 80歳だった19年からは公立・竹原の監督に就任した。21年には自身のYouTubeチャンネルを立ち上げるなど精力的に活動し、11月上旬の動画では「甲子園に行けるようなチームにしたいと思っております」と意気込んでいた。体調不良のため今年10月の広島大会を最後に療養に入り、現役監督のまま野球人生を終えた。

 73年広島商の正捕手で元広島監督の達川光男氏は、恩師の教え「人をけなすのはダメ」「常に感謝」をプロ入り後も守り続け、「あっちの世界で、もう新しいチームをつくっているのではないでしょうか。じきに自分もそっちに行くよ…という悲しい気持ちです」と悼んだ。達川氏は臨時コーチとして広島商の後輩を指導中。先月26日の竹原との練習試合では療養中だった迫田さんの依頼で竹原側のベンチに入り「迫田さんが日頃から言われているであろうことを選手たちに伝えた」という。試合後に電話で「タツ、ありがとう」と伝えられたのが最後の会話になった。

 迫田 穆成(さこだ・よしあき)1939年(昭14)7月3日生まれ、広島市出身。広島商で主将(外野手)として57年夏に全国制覇。コーチを経て67年に母校の監督に就任。甲子園に6度導き、達川光男を擁した73年春は準優勝、夏は優勝。75年で退任。93年に如水館の前身にあたる三原工監督に就任して甲子園に8度出場し、11年夏は8強。19年3月に退任し、同年7月から竹原を率いていた。甲子園通算22勝13敗1分け。05年は高校日本代表監督を務め、第6回アジアAAA選手権を制した。

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