【内田雅也の広角追球】「甲子園球場だけの世界」で阪神は…優勝27回! 猛虎党が100周年を祝う大集計

2023年12月19日 05:20

野球

【内田雅也の広角追球】「甲子園球場だけの世界」で阪神は…優勝27回! 猛虎党が100周年を祝う大集計
完成した2024年カレンダーを披露する大森正樹さん Photo By スポニチ
 【内田雅也の広角追球】来年100周年を迎える甲子園球場への祝意と感謝を込めて甲子園球場での試合に限ったプロ野球公式戦全試合の結果を集計した阪神ファンがいる。
 毎年、独自に集計した阪神のデータを基に、ユニークなカレンダーを製作している大森正樹さん(56=芦屋市、会社員)だ。「甲子園球場の歴史は日本の野球の歴史そのものです。ならば、甲子園球場しか存在しない世界なら、タイガースはどうだっただろう、と思い立ちました」

 甲子園球場の完成は1924(大正13)年8月1日。人気が沸騰していた中等野球(今の高校野球)全国大会の会場として造られた。

 今のプロ野球が始まったのが開場13年目の1936(昭和11)年。甲子園でのプロ野球最初の公式戦が行われたのは4月29日で大東京―名古屋軍、タイガース―金鯱軍の2試合があった。

 プロ野球で正式にフランチャイズ制が施行されるのは1952(昭和27)年。それ以前はもちろん、以後も甲子園では阪神以外の試合も数多く開催されている。

 大森さんは甲子園で行われたプロ野球すべての試合の勝敗などデータを集計した。年月日ごとにチームに応じて色分けされ、一覧にまとめた。

 「古い新聞を読みあさり、進めていきました。すべて集計して、再現してみると、驚くべき結果となりました」

 甲子園だけの成績に限ると、阪神は今年が何と27度目の優勝だった。実際は18年ぶり6度目(2リーグ制)、1リーグ時代を含めると10度目なのだが、「甲子園だけの世界」では昨年に続く連覇だった。連覇は他にも松木謙治郎監督時代の1952―53年、吉田義男監督(第1次)時代の75―76年、中西太監督、安藤統男監督の81、82年、岡田彰布監督(第1次)の2005―06年と計5度も達成している。

 1990年代のいわゆる「暗黒時代」もなかった。何しろ、最下位はたったの3度(1978、98、2018年)しかない。球団史上最低勝率の地獄を見た1987年も5位だった。

 巨人V9の1965―73年の間も2回しか優勝をしていない。

 甲子園での通算成績は阪神が4784試合2543勝2103敗138分けで勝率5割4分7厘だった。優勝は最多の27度。次いで巨人の599勝、優勝18度、中日444勝、優勝12度と老舗球団が続く。

 本拠地だから強いのは当たり前――などと野暮(やぼ)は言うなかれ。阪神、甲子園を愛する者の豊かな妄想であり、徹底的に調べあげた姿勢に頭が下がる。

 大森さんはさらに、歴代、優勝を経験した選手(その年に1軍で出場)を調べてみた。今季開幕前は200人だった。今回の優勝で新たに48人がV戦士に加わった。

 「一方でタイガースで優勝できなかった選手(1軍出場選手)は575人いました。彼らの無念もまた、タイガース栄光の歴史に欠かせないものだと思います」

 歴代1軍公式戦に出た計823人の出場試合数も一覧にまとめた。すると「阪神は優勝経験者が1人もいなくなってから優勝する」という歴史を繰り返していることが浮き彫りとなった。

 1947年の優勝経験者(最後は藤村富美男)がいなくなって62、64年と優勝。その64年の経験者がいなくなって85年に優勝。その85年を知る最後の和田豊が2001年に引退して03年に優勝。05年優勝を知る能見篤史が21年にオリックスに移籍し、23年に優勝――というわけだ。

 球団史上初(1リーグ時代を含めれば37―38年以来)となる連覇に挑む2024年。大森さんは「甲子園100周年を飾るシーズンになれば」と願っている。   (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。85年入社。初めてトラ番となったのは88年1月。以来、阪神取材経験36年になる。2007年4月から阪神を追うコラム『内田雅也の追球』を執筆し、17年間で3千回を超えている。

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