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世界一になるために前に 運ぶという「習慣」と「意志の力」を

2023年03月26日 06:00

サッカー

世界一になるために前に 運ぶという「習慣」と「意志の力」を
<日本・ウルグアイ>前半、ドリブルで突破する三苫(撮影・篠原 岳夫) Photo By スポニチ
 大松博文。この名前を知る人は、もはや少数派かもしれない。59年前、日本女子バレーを史上初の五輪金メダルに導いた伝説的な監督である。
 インパールの地獄を生き延びた一人でもある彼は、徹底的なスパルタ方式で選手を育てた。そして、その指導が東京五輪で結実したことにより、大松のやり方は日本スポーツの基本となった。とてつもなく大きな栄光は、競技の枠を超えて影響を及ぼしうる。

 同じことが、いまの日本でも起きようとしている。

 21世紀に入って徐々に薄まりつつあった、敗因を日本人であることに求めがちな国民的悪癖は、今回のWBC優勝によって根治されるかもしれない。いまの小学生たちには、世界一になる日本が、米国を倒す日本が、世界最高の伝説的な存在を擁する日本が、原体験として刻まれた。

 彼らは、やがて世界を相手にした際、日本人だからといって怯(ひる)むことはない。むしろ、日本人であるがゆえに勝てると考えるようになる。そして、大谷翔平たちがなし遂げた偉業の効果は、いずれサッカーにも広がってくる。W杯のベスト16や8ぐらいでは到底満足できない世代が、ファンが生まれ、より大きな期待が、より大きな結果を生み出す時代がやってくる。

 が、「いま」ではなかった。

 試合前の国歌吹奏の際、森保監督は目を潤ませていた。おそらく、この試合に向けて期するものはあったのだろうし、選手も気合は入っていたのだろう。

 だが、世界一の男が世界一になるべく必死になる姿を目撃したばかりの人間からすると、国立競技場でプレーする日本代表の選手たちが発していた熱量は、悲しいぐらいに低かった。誰も本気で世界一を目指しているようには見えなかった。

 ウルグアイを相手に引き分けた。内容はひいき目にみてやっとこさ互角、正直にいえばやや劣勢だった。W杯のベスト8を目指す国としてはまあ合格だが、世界一を目指すのであれば絶望的な落第点である。

 カタールでの戦いが一大ムーブメントを巻き起こした一方、批判的に見る人も少なくなかったのは、自分たちが主導権を握ったサッカーではなかったからだった。確かに、そこが改善されない限り、次のW杯も最終的には監督の博才に頼るしかないサッカーになってしまう。

 では、主導権を握るためには、あるいは主導権を握っているようで、その実チャンスをほとんどつくれない場合はどうするべきなのか。この1試合を見た限りでは、具体的な対応が施されている印象は抱けなかった。

 わたしが期待するのは、選手個々が、いまよりも少しだけ、勇気を持ってくれること。具体的にいえば、いまなら横、もしくは後ろのパスを選択している場面の中に、前という選択肢を加えてほしい、ということだ。

 簡単なことではもちろんない。リスクのある場面では徹底して安全第一を選択するのは、ウルグアイの選手も同じだった。だが、そこでリスクを高めず、それでも前に運ぶという難しい判断を繰り返していかない限り、世界一の可能性は少しも見えてこない。

 守田は、遠藤は、歴代の日本代表の中でも屈指の能力と安定感を誇るボランチだとわたしは思う。だが、世界トップクラスの選手と比べると、ボールを前に運ぶ力がまだ低い。

 誤解のなきよう。彼らに欠けているのは「能力」ではない。「習慣」と「意志の力」だとわたしは思っている。(金子達仁=スポーツライター)

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