【コラム】金子達仁
責任を問うのはあまりにも酷… 韓国・クリンスマン監督の苦悩
2023年06月22日 10:00
サッカー
多くのメキシコ人にとって、米国は憧れの対象であると同時に、領土を奪い取っていった仇敵(きゅうてき)でもある。経済力ではかなわない。文化の影響面でも、ほとんどのスポーツでもかなわない。メキシコ人にとって米国と戦うサッカーの試合は、絶対に絶対に絶対に負けられない代物だったのである。
そんな心情を、解任されたアルゼンチン人のコカ監督はどこまで理解していたことか。
これと似たような立場に、韓国のクリンスマン監督が追いやられつつある。
日本がペルーを粉砕した夜、韓国はエルサルバドルと引き分けた。ほぼ一方的に押し込む展開ながら、終了間際にセットプレーから同点弾を食らったのである。
先週金曜日、日本に完敗することになるペルーを相手に、彼らは苦杯を喫していた。エルサルバドル戦を前に、クリンスマン監督は「日本戦でのエルサルバドルは忘れるべきだ」と訴え、決して簡単な相手ではないことを強調してはいたが、それでも、彼が懸念していたのは奪うゴールの多寡であって、勝ち負けそのものではなかったはずである。
ところが、結果はまさかのドロー。日本が合計で10得点を奪った相手に1分け1敗、得点もわずか1とあっては、事あるごとに日本を比較材料とする韓国国民が黙っているはずもない。クリンスマン監督、早くも絶体絶命である。
ただ、第三者としてはいささか気の毒にも思える。
10年前、孫興民(ソンフンミン)はレーバークーゼンでプレーしていた。いいアタッカーではあったものの、10年後の彼をわたしはまったく予想できなかった。車範根(チャボングン)よりはかなり下。せいぜい金鋳城(キムジュソン)ぐらい。そう踏んでいたからである。
見る目のなさを笑っていただきたいところだが、ならば、2年前の孫興民といまの彼を比較した場合はどうだろうか。
さほど変わりはない、むしろ下降気味――というのがわたしの見立て。間違っているかもしれないが、しかし、飛躍的に伸びてはいない、とは断言できる。
では、2年前の三笘と現在の三笘はどうだろうか。遠藤は、伊東は、板倉は、久保は、堂安は、菅原は……挙げていけばキリがないぐらい、いまの日本には2年前とは比べものにならないぐらい成長した選手たちがいる。しかも、彼らの多くは、カタールで自分たちの現状と可能性を明確に感じ取った。これほど多くの選手が、これほど近いタイミングで成長する……頭の中にチラつくのは「黄金時代に突入か」という言葉である。
同じようなことが今後の韓国に起こる可能性はもちろんゼロではない。ただ、現状の韓国を日本と比較し、代表監督の責任を問うのはあまりにも酷なのでは、とわたしは思う。(金子達仁氏=スポーツライター)