【コラム】金子達仁
ドイツ完敗もやむなし… これは日本サッカー界の精神構造をも変える大きな勝利
2023年09月11日 06:00
サッカー
確かに、カタールで浅野が決めた決勝点は、彼の生涯のベストショットと言ってもいい一撃だった。もう一度やれ、と言われてもまずできない一撃だった。
だが、23年9月9日の日本代表に、神懸かった選手はいなかった。三笘は、伊東は、上田は、冨安は、板倉は、遠藤は、守田は、菅原は、久保は、いつものようにプレーしていた。そして、彼らにとっては標準的な、あるいは少しばかり上出来なプレーの合計値が、ホームで戦うドイツを大きく上回っていた。
ドイツからすれば、痛みを和らげてくれる抗弁が見つけられない惨敗だった。ホームで戦い、復讐(ふくしゅう)を誓っていたであろう彼らにとっては、カタールでの敗北以上にプライドを抉(えぐ)られてしまったかもしれない。
ただ、傲慢(ごうまん)と取られるのを承知でいわせてもらうと、これは仕方のない部分がある。10カ月前にほぼ圧倒していた相手に、地元で惨敗を喫する?サッカーの常識ではまずありえないことだからだ。つまり、サッカーの常識からすると考えられないような変化が、変貌が、というよりも脱皮が、日本サッカーには起きている。
10カ月前、三笘を警戒するドイツ人はほぼ皆無だった。10カ月後、彼らは最低でも4つの目で日本の背番号7に対応していた。菅原という右サイドバックはカタールにいなかったし、W杯に出場できなかった23歳にあれほどやられるなど、ドイツ人からすれば到底想定できるものではない。だが、アジアの中位層から一気にトップ争いにステップアップした30年前にも似た上昇気流が、いまの日本サッカー界には吹いている。
凄(すさ)まじい勢いで経験値を蓄積し、変貌を遂げているのは選手だけではない。
後半、森保監督は概(おおむ)ね上手(うま)くいっていた守り方に手を加えた。正直、この試合のことだけを考えるならば、失着にもなりかねない采配だった。リスクが小さくないことは、おそらく、森保監督もよくわかっていたはずである。
では、なぜ彼は動いたのか。わたしは、W杯ロシア大会での経験が関係しているのでは、と思う。あのベルギー戦。2点のリードを奪った日本は、それまでのやり方を続けるしかなかった。それしか、やり方を知らなかったからである。
ベンチであの逆転負けを見守った森保監督には、自分たちの引き出しの少なさが身に沁(し)みたことだろう。その思いが、ウォルフスブルクで前半の4バックを5バックに変える根っこにあったような気がする。
そして、あえて主導権を手放す戦いに舵(かじ)を切りながら、選手たちは相手の攻撃を封じ込めることに成功した。大差で勝ったこと以上に、後半をゼロに抑えたことの収穫は大きい。
わたしの知る限り、世界王者経験国がアジアの国に連敗したことは一度もない。たかが親善試合。されど、これは日本サッカー界の精神構造をも変える大きな勝利だった。
(金子達仁氏=スポーツライター)