【コラム】金子達仁
ゼロを1にする天皇杯の番狂わせ
2023年07月22日 14:00
サッカー
彼の名はデビン・ファンチェス。NFLのファンならご存じかもしれない。元カロライナ・パンサーズのワイドレシーバー。ケガでアメフトからはリタイアした29歳が、バスケットボールBリーグの3部、B3に所属する湘南ユナイテッドの練習に、トライアウトをかねて参加していたのである。
アメフトの現役時代、2ケタ億円を優に超える収入を得ていたファンチェスにとって、挑戦の目的はもちろんカネではない。大学進学時に断念した、アメフトと同じぐらいに大好きだったバスケのプロになりたい。その第一歩として、湘南ユナイテッドのトライアウトに参加したのだという――マイケル・ジョーダン・モデルのシューズを履いて。
この原稿を書いている時点で、2日間予定されていたトライアウトの成否はわかっていない。ただ、もし合格するようなことがあれば、大きなニュースになるだろうし、それは、湘南ユナイテッドというチームの存在を知らず、観戦経験もない層を試合会場に引き付けようとする――つまりゼロを1にしたいフロントの狙いとも合致する。トライアウトを実施する側と参加する側、どちらにとっても非常に興味深い挑戦である。
話は変わって天皇杯。先週行われた3回戦でも、番狂わせが相次いだ。J2の栃木、町田、甲府がJ1勢を退けたばかりか、JFLの高知が2回戦のG大阪に続き、横浜FCを喰(く)ってみせた。これぞカップ戦の醍醐味(だいごみ)、といったところだろうか。
ただ、個人的には意外な番狂わせが起きたこと以上に嬉(うれ)しかったことがあった。栃木、町田、甲府、そして高知。J1を倒した彼らは、すべてホームで戦っていたのである。
以前、天皇杯に関しては苦言を呈したことがあった。異なるカテゴリーのチームが対戦する際、ほとんどの場合、上位チームのホームで試合が行われる。これでは、番狂わせの起きる可能性が激減してしまうではないか、と。
天皇杯史上に残る番狂わせといえば、いまから14年前、当時地域リーグ所属だった松本山雅が浦和を倒した一戦がある。松本ホームで行われたこの試合には、1万5000人近い観客が集まり、そして、この試合に勝ったことで、松本のサッカー熱には火がついた。ゼロを1にした試合だったと言っていい。
勝つかどうかわからない下のカテゴリーのチームが、数週間後、数カ月後の試合会場を押さえるのは簡単なことではない。そうした点も、上位カテゴリーのチームがホームになりがちだった一因だろう。
だが、時代は変わりつつある。大会を主催する側も、参加する側も、少しでも番狂わせの可能性を高めるべく動いてきた。レッズを倒した歓喜が緑のファンを増やしたように、日本全国津々浦々に、新たな種が蒔(ま)かれることになる。
ゼロを1にするきっかけの一つとして、今後、天皇杯はより大きな意味を持つことになるだろう。ちなみに、川崎Fに挑む高知をはじめ、4回戦も試合会場は下部カテゴリーに属するチームのホームで行われる。(金子達仁氏=スポーツライター)