平尾誠二さんの思い出――

2024年02月03日 19:05

ラグビー

平尾誠二さんの思い出――
ラグビーレジェンド対談 Photo By スポニチ
 元ラグビー日本代表の大八木淳史氏(62)がゲストを招いてトークする「レジェンド対談」。第3弾は大八木氏の元同僚で、神戸製鋼ラグビー部(現コベルコ神戸スティーラーズ)のスタンドオフ、スクラムハーフとして活躍し、7連覇に導いた藪木宏之氏(57)です。第5回は「平尾誠二さん ――その半生と素顔――」(対談映像はYouTube「スポニチチャンネル」で配信中です) 【対談動画はこちらから
 大八木氏(以下大八木) 平尾が中学3年の時にオール京都のメンバーと、伏見工業の1年生が試合したんよ。伏見のメンバーの半分くらいが素人。それで6トライくらいされて、こっちは1トライくらいやった。平尾が14歳、オレが15歳で出会った。
 その時の平尾のイメージがめちゃくちゃあるかな。そこからラグビーは絶対に平尾誠二の方がすごいと思ってる。
 平尾が他界して、ほんまに残念なんや。
 モッくん(本木雅弘)が、この前、ドラマ(テレビ朝日系 友情)やっていたやんかぁ。見た?

 藪木 見ました。淡々と見てました。平尾さんが亡くなる話なんで。もう一回、悲しい部分を見るのかなぁって。つらい部分はあったんですけど。

 大八木 モッくん、モッくん言うて失礼なんやけど、めちゃ(演技が)うまかったな。

 藪木 そうですね。ビジュアルもそうですし。

 大八木 顔とかも関西弁とかも。無理してしゃべってくれてはると思うんやけど。オレも絶対に見るられへんと思ったんやけど。流しでみたんやけど、そっくりで。もう2、3センチ身長が高かったらそっくりなんやけどな。病床に伏せてて、ベッドのシーンとか顔だけやから、あんな感じなんかなぁと思ったりね。僕らの世代にとっては、ちょっと見るのつらいなぁみたいな。

 藪木 つらいですね。
 大八木 活躍していたころの10年とかやったらな。
 で、知らんかったんやけど、藪木は「平尾誠二さんのこと」という本、出したんやね。

 藪木 これは私が平尾さんに対してのレクイエムというか、平尾さんのことを忘れて欲しくない。平尾さんの素晴らしいこと、たくさん書いてあるので。

 大八木 (本を)こういうのを残してやらんとあかんよね。

 藪木 7連覇の裏エピソードなんかも書いてあるので。思い出すことがたくさんありますね。
 大八木 現役時代は(藪木は)ぼくらとアホみたいに飲んでいたんやけどな。途中から平尾は運転免許証なかったから、藪木がよく運転手をしてたよな。

 藪木 平尾さんと一緒に移動していました。楽しい雰囲気が好きでね、ラグビー場に立っているとスマートで格好良いオーラのある平尾さんなんですが、車の中とか二人で食事していると、楽しく高笑いするというか。

 大八木 バカ笑いみたいなんしよるな。昔からそうや。

 藪木 楽しい話が好きで、ラグビーの話は一切しない。

 大八木 あいつ、案外ラグビー嫌いやったもんな。ラグビーを愛してないんやけど、ラグビーに愛されていた。ラグビーなんて別にどうでもええねん、みたいな感じやったもん。別にラグビーを続けんでもええねん、みたいな感じのことは昔から言っとったよ。

 藪木 そういう意味で言うと、その通りで、グラウンドを出たらラグビーの話は一切しない。楽しい雰囲気が好きで、ラグビー以外の方と飲み食いするのが好きでしたから。いろいろな方からラグビーのことを聞かれたらもちろん答えますが、それ以上発展的な話は一切しない。専門的な話はしませんしね。

 大八木 彼とは中学3年からずっと付き合っていて、藪木とか杉本とか武藤も綾城もそうやけど、みんな空気みたいなもんやんか。あんまり意識せえへんやんか。
 実際に現役やめて離れてから、そんなにじっくり話したことはないんやけど。
 あいつ変わりよったんは、ジャパンの監督をやっていたやんか。あれ以降、なんかマイルドじゃないんやけど、すべてにやんわりになりよった。あのときに勝ってバーンと(上に)行っていたら、平尾らしさもずっと残ったと思うんやけど。監督になって、外国人使いすぎやとかいろいろ勝手なことばかり言われてね。負けたらみんなそうなんやけど、あれからちょっと平尾誠二がマイルドというか、あまり無理せえへん、自分から押していかない。まぁ大人なんやけど、ちょっと遠慮もあるみたいなね。

 藪木 日本代表の監督時代に、当時日本協会よりも、神戸製鋼の広報の私が平尾監督のお手伝いをしていたのですが、あの頃は、現役のときに一緒にやっていた平尾さんとはちょっと違いましたね。ストレスが溜まっていたのかもわかんないですね。

 大八木 平尾のとっておきの話とかないの。

 藪木 平尾さんはあんまり、人を褒めたりしないのですが。(実際には)褒めますけど、私は個人的に褒められたりしたことがなかったのですが、1回だけ褒められたことがあって。当時、神戸製鋼ではレギュラーだったんですけど、(日本)代表にはなかなか手が届かなかった。その時に車の中で、灘浜グラウンド手前の信号のところ、赤で止まっていたら、平尾さんが「藪木なぁ、宿澤さんが日本一うまいスタンドオフはお前やって褒めてたでぇ」と。宿澤さんという名前を使いながら、私に伝えてくれたことは平尾さんの本心だったんじゃないかと今も思っているんですけど。シャイなんで。オレはそう思うとはおっしゃらなかった。
 V6をやる年だったんですけど。ちょっと私が悩んでいたんですよね。自分のプレーに。それを平尾さんが察してたのかも分かんないですね。そのタイミングで言っていただいたというのは。それでいろいろと吹っ切れて。何て言うんですかね。洞察力もすごいんですけど、人の心の読み取り方がすごく上手な方でしたね。

 大八木 相手の気持ちがある意味分かるんやろね。“宿澤さんが言うてたで”と言いながら、平尾がそう言うてくれたんじゃないか、とね。

 藪木 日本代表に落とされた時に真剣に怒られましたね。最初の候補合宿に行って、その時に大八木さんと平尾さんでしょ、細川、武藤さん、杉本さんと私と6人で行った時に、代表と選抜に入れなかったのは私だけでした。その時に真剣に「負けやがって」と怒られました。負けず嫌いなんですよね。格好良いですけど泥くさいことが好きですから。

 大八木 平尾とは縁があって、新神戸駅でよく会ったんよ。平尾も新幹線よく乗るやんか。平尾が病気になる前に、オレがある学園で訴訟とかやられてたときに会ったんや。“おお元気にしてんの”、みたいな話になって、逆に平尾も「大八木さんこそ元気にしてんの」みたいな話になって、平尾がポソッと言いよったんよ。
 「何か手伝えることがあったらやりましょか」て、言いよったんよ。あいつは、あいつなりに気にしてくれてたんやな。オレがもう“地獄”のときよね。
 全然話が変わるけど、あの時、声をかけてくれたのは平尾と松尾雄治よね。あの人も偉かった。(携帯電話が)留守電になっていたんやけど、「なんか手伝えることがあれば何でも言ってくれよ」と入っていた。やっぱり松尾雄治もすごいし、平尾誠二もね。

 平尾が亡くなったときにいろいろニュースが出てた。バーに行っていたとかね。藪木、どう思う? 
 平尾がバーでシングルモルトを飲んでたって。飲めへんってあいつは。めっちゃ酒弱かったもんな。オレ覚えているけど、ビールの一番小さな缶を2本くらいで(顔が)真っ赤になってたもんな。

 藪木 弱かったですね。真っ赤になって(目尻の)傷が、余計に赤くなってね。お酒はあまり飲まないけど、お酒の場は好きでしたね。

 大八木 ラグビー界不思議やね。飲まへんやつでも、そういう会は好きやもんな。ラグビー独特なもんなんかなあ。

 藪木 集団でいることが日常なんで、一緒にいるのが楽しいんでしょうね。

 大八木 孤独にひとりで、みたいなんが無いんやろね。みんなワイワイ言うてる方が安心するんやろね。

 ◇藪木 宏之(やぶき・ひろゆき)1966年(昭41)3月12日、山口県生まれの57歳。山口・大津高からラグビーを始め、明治大―神戸製鋼。神戸製鋼では日本選手権7連覇に貢献。2019年に日本で開催されたワールドカップでは日本代表のチームメディアマネジャーを務めた。現役時代のポジションはスタンドオフ、スクラムハーフ。

 ◇大八木 淳史(おおやぎ・あつし)1961年(昭36)8月15日、京都市生まれの62歳。伏見工からラグビーを始め、同志社大―神戸製鋼。同志社大時代は大学選手権3連覇、神戸製鋼時代は日本選手権7連覇に貢献。現役時代のポジションはロック。日本代表キャップ30。
  

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