巨人ドラ1・西舘 能登を思い、岩手を思い投げる!「一生懸命プレーし、感じてもらえることがあれば」

2024年01月05日 05:30

野球

巨人ドラ1・西舘 能登を思い、岩手を思い投げる!「一生懸命プレーし、感じてもらえることがあれば」
故郷の岩手県一戸で自主トレを行った西舘(撮影・西川祐介) Photo By スポニチ
 今度は自分が復興の力になる――。最速155キロを誇る巨人のドラフト1位ルーキーの西舘勇陽投手(21=中大)が4日、地元の岩手県一戸町で自主トレを公開。東北に甚大な被害をもたらした東日本大震災が発生した3月11日生まれでもある即戦力右腕は、元日に最大震度7を記録した能登半島地震に心を痛め、復興途上の岩手や北陸の被災者たちに勇気や希望を与える存在となることを強く誓った。
 3・11。西舘は9歳となって以降、誕生日を素直に喜べなくなった。忌まわしき東日本大震災は2011年に発生。つらく、苦しい生活を支えてくれたのが野球であり、テレビの中で躍動するプロ野球選手だった。新年早々の1日には能登半島地震が発生。雪が積もる地元・岩手で汗を流した右腕は言葉に力を込めた。

 「早く被災された方々が元の生活に戻れるように。一生懸命プレーをして、感じてもらえることがあれば」

 東日本大震災は一戸南小3年時に学校で被災。「あの時は自分も小さくて怖い思いをした」と振り返る。幼いながら「自分(の家)はまだ内陸の方で揺れや停電で済んだけど沿岸の方々は本当に大変な思いをされている」と記憶も鮮明だ。そしてプロ野球選手となる24年の元日に北陸を襲った大地震。帰省していた実家のテレビで被害の大きさを目にして「岩手も、まだ完全に復興したわけではない。活躍する姿を見せることで力になれれば」と決意を新たにした。

 少年少女に夢を与える。自主トレを自身も所属した一戸野球スポーツ少年団が見学。練習後にはキャッチボールで交流した。憧れのまなざしを受け「自分もあんな感じだった。少しでも目標や野球を続ける理由になれれば」と願う。花巻東の憧れの先輩でドジャースと大型契約を結んだ大谷と同じ背番号17でルーキーイヤーに挑む。

 周囲への感謝も忘れない。野球より先に始めたというクロスカントリースキーの練習場所でもあり、始動の場所に選んだ一戸総合運動公園や一戸駅など多くの場所に入団を祝う横断幕があり「応援していただいている」と実感。1日には社会人野球の七十七銀行で投手としてプレーする1歳上の兄・洸希と合同練習。この日のキャッチボール相手は「野球経験は中学生まで」という父・満弥さん(51)が務め「自分のために付き合ってくれている」と家族の支えに感謝する。

 クイックから最速155キロを投じる右腕はすでに春季キャンプの1軍スタートが内定。中大でも1、2年時は救援で活躍しただけに、阿部監督も「適性はある」とセットアッパー候補に挙げる。「ポジションはどこでもいい。目標は開幕1軍。1年間、ケガなく投げきりたい」と西舘。かつて自分が与えられたように、東北に、北陸に元気を与える。(小野寺 大)

 ◇西舘 勇陽(にしだて・ゆうひ)2002年(平14)3月11日生まれ、岩手県一戸町出身の21歳。一戸南小3年から野球を始め、一戸中では軟式野球部。花巻東では1年夏からベンチ入りし2年春夏、3年夏に甲子園出場。中大では1年秋から東都リーグ戦に登板し3年秋にベストナイン。通算成績は51試合で12勝10敗、防御率1.95。1メートル85、79キロ。右投げ右打ち。好きな言葉は「初志貫徹」。

 ▽東日本大震災 2011年3月11日の午後2時46分に東北地方太平洋沖を震源としたマグニチュード9.0の地震。宮城県栗原市では最大震度7を観測。また岩手、宮城、福島、茨城県などの太平洋沿岸では大津波が発生し、沿岸地域が壊滅的な被害を受けた他、福島第1原子力発電所での事故も発生。東日本大震災と原発事故に伴う震災関連死や行方不明者は2万2215人(23年3月11日時点)と発表されている。

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