【選抜100年 世紀の記憶】春夏通じて初の完全試合 前橋・松本稔の78球、偉業許した比叡山の証言

2024年02月27日 07:00

野球

【選抜100年 世紀の記憶】春夏通じて初の完全試合 前橋・松本稔の78球、偉業許した比叡山の証言
78年3月30日、第50回センバツの比叡山戦で史上初の完全試合を達成した前橋・松本
 連載「選抜100年 世紀の記憶」の第7回は、1978年の50回大会で春夏通じて全国大会史上初の完全試合を達成した前橋(群馬)・松本稔(3年)の投球を再検証する。130キロ台中盤の直球とカーブを操る一見オーソドックスな右腕に、1回戦で対戦した比叡山(滋賀)が球数78球に封じられて快挙を許した。なぜ無名だった投手が大記録を成し遂げられたのか――。今回取材に応じた3人の比叡山側の証言から、当時の投球内容や攻撃側の胸の内、そして、その後の物語に迫る。 (河合 洋介)
 歴史の当事者にならずに済むすべはなかったか、比叡山の選手は46年たった今も考えている。「最初は打てそうかなという印象を持ちました」(3番・嶌吉雄)、「驚くような球ではなかったです」(8番・大伴嘉彦)。完全試合を達成する松本の第一印象は、難敵とは違った。それゆえに大記録が迫る気配に気付かぬまま、試合は淡々と進んでいく――。

 エースの吉本義行は、開会式で選抜初出場の前橋ナインを探した。「小柄で、眼鏡の選手も4、5人いた。うまく試合を運べれば、勝てそうだなと思いました」。松本も1メートル68と小柄だった。事前情報が限られていた中で、くじ運は悪くないだろうと感じていた。

 松本には、針の穴を通す制球力があった。初回に投じた7球中ボール球はゼロ。初回に三ゴロに打ち取られた3番の嶌が「直球は135キロぐらいだと思う」と振り返るように、直球とカーブを慎重に低めへ集める技巧派だった。対する比叡山の先発右腕・吉本も4回に先制点を献上したとはいえ落ち着いていた。「県大会から2、3得点で勝ち上がってきた。打てないのはいつも通り」。打線は5回終了時点で内野ゴロ8、外野フライ3、三振4。平凡なゴロが続いても、不吉な予感を抱く選手はいなかった。

 最初に焦りを感じたのは、日下部明男監督だった。5回終了時の円陣で声を張り上げた。「おまえら、このままやられてしまうのか!」。次第に観客も快挙を期待し始める。7回に入ると、一塁側アルプス席から1球ごとに「松本コール」が起こった。チーム屈指の好打者だった嶌は、7回2死から二ゴロに倒れて胸騒ぎがしたと言う。「やばいぞ…と思った。それまでは焦らないといけないことにも気付いていなかった」。制球の乱れを待ち続けるうちに、刻一刻と快挙へのカウントダウンが進んでいた。

 松本の手元が狂う気配はなかった。その要因は、打線の構成にあった。先発全員が右打者だったのだ。松本の得意球は、右打者への外角低め直球。左打者がいないことで、同じコースをめがけて投げ続けられた。初球ボールは3度、3ボールまで進んだのは1度のみ。嶌が「淡々とした打撃になってしまった」と悔やむように、ボール球が来ない以上、早打ちするしかなかった。右打者ではセーフティーバントも仕掛けづらく、突破口はどこにも見当たらなかった。

 そして迎えた0―1の9回2死。初球シュートが珍しく高めに浮いた。しかし、代打の時田英樹が打ち損じた。最後の希望として送り出された初の左打者は1球で投ゴロに倒れ、春夏通じて甲子園史上初の完全試合が達成された。球数78球でボール球11球。積み重なった17個の内野ゴロは、徹底的に球を低めに集められた印だった。試合時間は1時間35分。当時2年生の大伴は「実は完全試合と知らなかった。完封負けか…と思っていました」と明かす。あっという間に達成された偉業に、比叡山側は今ひとつ実感が湧かなかった。

 すぐに事の重大さに気が付いた。チームバス内で「甲子園史上初の完全試合が達成されました」とのラジオニュースが流れ、テレビの報道番組でも取り上げられていた。日下部監督は「滋賀に帰られへんぞ…」とつぶやいた。選抜出場を祝う記念ポスターは破られ、ヤジを恐れた選手は地元での電車移動を控えた。淡々と進んだ試合内容とは裏腹に、心に負った傷は深かった。

 33年後の2011年3月26日。比叡山の3番打者だった嶌は、甲子園の一塁側アルプス席に向かった。智弁和歌山(和歌山)の一員として次男の直広が選抜に出場したのだ。聖地に到着すると嫌でも当時の悪夢がよみがえり、「安打1本だけでもいい」と祈った。愛息は1回戦の佐渡(新潟)戦に「6番・三塁」で先発出場した。迎えた2―1の6回先頭。3打席目にして右前打が生まれると、心のつかえが取れたかのように涙がこぼれた。「女房にしか言えなかったが、本当に自分の子供が甲子園で打てるのか不安だったんです」。甲子園史上初の完全試合は、それほど強烈な記憶となって、選手の心に刻み込まれている。

 《2度目も選抜で 94年、金沢・中野が完全試合》春夏の全国大会で2度しか達成されていない完全試合。その2度目も選抜だった。78年の前橋・松本の達成から16年後の94年、66回大会1回戦。金沢(石川)・中野真博が江の川(島根=現石見智翠館)戦で、史上2人目の快挙を成し遂げた。

 大会初日第3試合、やや寂しい観衆1万5000人を前に、中野が快投を演じた。最速135キロ直球、切れ味鋭いスライダー、大きく曲がるカーブで丁寧にコーナーを突き、江の川打線に凡打の山を築かせた。9回2死、最後の打者を、この日99球目で、この試合17個目の内野ゴロとなる遊ゴロに仕留めてガッツポーズ。スコア3―0。試合時間は、わずか1時間28分だった。

 中野は続くPL学園(大阪)との2回戦も先発したが、7与四死球と精彩を欠き、8安打を浴びて4失点。8回完投負けを喫した。

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