【内田雅也の追球】「野球大好き人間」の魂

2024年05月29日 08:00

野球

【内田雅也の追球】「野球大好き人間」の魂
04年、故藤村富美男氏の墓参りをした阪神・岡田監督(左)と平田ヘッドコーチ Photo By スポニチ
 藤村富美男の三十三回忌だった。1992年5月28日、神鋼病院で逝った。糖尿病からきた腎不全、75歳だった。
 晩年は大好きな「セブンスター」を日に2~3本吸い、「冷コー」(アイスコーヒー)とオロナミンCを吸い口で飲んでいたそうだ。野球記者の大先輩、南萬満の『真虎伝』(新評論)にある。同書は藤村が妻・きぬに語っていた言葉で締めくくられている。

 「ほんまにオレは幸せや。いい商売見つけたで。雨降ったら試合はないし、天気でも、2~3時間やったら終わり。オレはほんまにいい商売見つけたわ」

 プロは確かに野球を商売(職業)としている。だが、仕事だからではなく、好きだからやる姿勢がファンに伝わる。<いまの選手のように(中略)サイン通りプレーすればいいやという選手ではなかった>。サラリーマン的な選手像を嫌い、藤村を<野球大好き人間>と書いた。それが「ミスター・タイガース」の神髄だととらえていた。

 思えば、阪神監督・岡田彰布も<野球大好き人間>に違いない。岡田の現役時代、われらトラ番はよく「野球小僧」と表現した。すでにトッププロだったが、まるで野球少年のように振る舞うのを好意的に書いた。

 先日、岡田は記者団との雑談で、バントを拒んで決勝弾を放った話を披露していた。日本一となった85年5月18日の巨人戦(後楽園)。0―0の7回表、無死一塁で当時監督の吉田義男は岡田に送りバントを命じた。投手は江川卓だった。

 「ええっ? バント? 打つ方がええのに」とわざとバントをファウルしたという。「ファウルにしたらサインが変わると思っていた」。案の定、ヒットエンドランに変わり、左翼席へ決勝2ランを放った。「ほんまはゴロを転がして走者を進めなあかんけどな」

 この日、試合は中止となったが、相手日本ハム監督の新庄剛志も同じである。阪神現役時代、敬遠球をサヨナラ打した。大リーグ時代の楽しそうな日々を取材した。

 きょう29日、天気予報は好天を伝えている。「ミスター・カブス」アーニー・バンクスの言葉を思う。「天気もいいし、チームメートはみんなそろった。レッツ・プレー・ツー」。2試合やろうぜ、というわけだ。おそらく両監督ともそんな意気だろう。 =敬称略= (編集委員)

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