金村義明氏がイキり倒していた高校球児時代…高3センバツ開幕直前にまさかの…

2024年09月02日 19:37

野球

金村義明氏がイキり倒していた高校球児時代…高3センバツ開幕直前にまさかの…
金村義明氏 Photo By スポニチ
 TOKYO FM「SPORTS BEAT supported by TOYOTA」(土曜前10・00)が8月31日に放送され、元プロ野球選手の金村義明氏(61)がゲスト出演。イキりまくっていた、やんちゃな高校球児時代に聖地・甲子園でしでかしていた思い出を明かした。
 俳優の藤木直人(52)がパーソナリティーを務めるスポーツドキュメントに招かれた金村氏。兵庫・報徳学園高校の3年生だった1981年に春夏連続の甲子園出場を果たし、夏には全国制覇を果たした。

 4番打者を務めながら、エースとして夏の県大会初戦から甲子園決勝まで一度もコールド勝ちがないまま全13試合完投勝利。まさに中心選手として獅子奮迅の大活躍だった。

 だが、快投&快打の一方で、やらかしていたのは夏ではなく春のセンバツ。しかも開会式で行われる入場行進の予行練習の時だった。

 周囲を見渡した当時17歳の金村氏。他校に在籍するある選手を見つけると自ら歩み寄り、こう言い放ったという。

 「槙原!かかって来い!!!」。

 槙原とは、当時、愛知・大府高校のエースだった同学年の槙原寛己氏(61)。槙原氏はすでに有名球児で、センバツ初戦で対戦することも決まっていた。

 イキり倒してくる相手エースに「彼も“とんでもないヤツ来たな”みたいな顔で」と当時を回想して苦笑いの金村氏。初戦で対戦する相手校のエースに面と向かって「槙原!かかって来い!!!」とタンカを切り、初戦に臨んだという。

 当時はソリコミも入れたいかつい風貌で、「我が強かった」という金村氏。だが、結局、当時から速球派だった槙原との投げ合いにムキになって直球を投げ続けて打たれまくり、敗れ去った。

 当時は監督から「お前のせいで負けた、独り相撲で負けた、野球やめろ、まで言われて」と初戦敗退に大説教も食らったが、その経験を糧に夏には荒木大輔を擁する早稲田実、工藤公康を擁する名古屋電気(現愛工大名電)などを撃破して優勝。金村氏はドラフト1位で近鉄入り、槙原氏も同じくドラフト1位で巨人入りした。

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