山田邦子 曙太郎さん追悼「思いやりのある、明るくて優しい青年だった」本名“チャド”でお別れメッセージ
2024年04月11日 16:12
芸能
当時、山田は「どうしたらいいか、わからなかった」といい「私がお見舞いに行かれたのは 2018年もずいぶん経ってからで 受け入れられる大きなベッドや リハビリ機器のある武蔵村山の病院だった」と振り返った。
「その日はとても機嫌が良く 記憶障害なんて全く無く 倒れた時のことや 昔の話や リハビリをがんばっていることなど 笑ったり、たくさん話した」と山田。「機器を装着して歩行のリハビリもがんばっていたが、思うような回復はなかなか難しいようだった」というも「横綱の時、強くてカッコ良かった 披露宴にも来てくれた プロレスラーになってからももの凄い圧で、怪物のように強かった」と、現役時代の立派な姿を思い返した。
また「素顔は思いやりのある、明るくて優しい青年だった」とも。「ハワイに帰りたい、と言っていた 魂はもうハワイの海に行ったかな 悲しくて寂しい。たくさんがんばったね」と記し「またね チャド」と、本名で悼んだ。