久我美子さん死去 93歳 誤嚥性肺炎で 華族の家系からデビュー 日本映画史に残るガラス越しのキス
2024年06月15日 05:10
芸能
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最後の出演作は2000年に公開された映画「川の流れのように」で、それ以降は実質的に活動休止状態。04年3月、義姉の女優三ツ矢歌子さん(享年67)の通夜に姿を見せたくらいだった。
演技の道に進んだのは、映画・演劇好きの両親の影響と、華族制度の変化から。働くなら好きなことをしたいと、女子学習院中等科在学中の1946年に俳優オーディション「東宝ニューフェイス」に応募。4000人もの中から三船敏郎さんらとともに約50人の第1期生に選ばれた。翌47年公開の映画「四つの恋の物語」の女学生役でデビューした。
48年公開の黒澤作品「酔いどれ天使」ではセーラー服の女学生を演じ、鮮烈な印象を残した。人気を決定付けたのは今井正監督の「また逢う日まで」(50年)。久我さんが岡田英次さんと窓ガラス越しにキスをする場面は、日本映画史に残るラブシーンとして語り継がれている。
木下監督の「女の園」(54年)は転機にもなった。所属する映画会社の作品にしか出演できない「五社協定」に窮屈さを感じ、共演していた岸恵子(91)と女性だけのプロダクションを計画。有馬稲子(92)を加え、54年に「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立した。
私生活では61年、俳優の平田昭彦さん(享年56)から熱烈な求愛を受けて結婚。おしどり夫婦として有名だったが、84年に先立たれた。ファンを驚かせたのは、89年「ゴジラVSビオランテ」への出演。「ゴジラ」シリーズに欠かせなかった夫の遺志を継いだもので、女性官房長官役を演じた。
久我 美子(くが・よしこ)本名小野田美子(おのだ・はるこ)1931年(昭6)1月21日生まれ、東京都出身。東宝ニューフェイス合格後、祖父の猛反対で一時、名前を変えて活動。56年に「夕やけ雲」などでブルーリボン賞助演女優賞、94年には毎日映画コンクールで田中絹代賞。69年10月から1年間、フジテレビ「3時のあなた」の司会も務めた。