高橋洋子 「残酷な天使のテーゼ」話題も一時「引退してた時期が」と告白 「デイサービスでバイトして」
2024年06月20日 18:12
芸能
![高橋洋子 「残酷な天使のテーゼ」話題も一時「引退してた時期が」と告白 「デイサービスでバイトして」](/entertainment/news/2024/06/19/jpeg/20240619s10041000254000p_view.webp)
「っていうのは、皆さんカラオケで歌ってくださいますよね。なんだかんだでいつも上位に。30年近く」と同曲はカラオケランキングでも常に上位にいるとしたものの、「でもよーく考えてみてください。洋子の歌はカラオケで流れますか流れませんか?」と逆質問。共演者が「流れない」と答えると、高橋は「私はカラオケの印税は0円でございます。だから作曲家の及川眠子先生とか、作曲家の佐藤(英敏)先生とかに印税はいくわけですよね」と説明した。
MCの「ハライチ」岩井勇気が「エヴァの最初のオンエアの時はあんまりヒットしてなかったんですけど、再放送でめちゃくちゃヒットして。もうかり出したのはパチンコがヒットしてから」「パチンコの大当たりの曲になってからもうかった」とのイメージをぶつけると、高橋は「〇」の札を掲げ「そうなんですよ。今でも街に行きますと洋子があちこちから」と証言した。
それでも大ヒットして生活はどうなったかと聞かれると、「私は、もうバブル後だから。結構、結構なわけです、世の中が。だからその売れる売れないって言うことも含めて、CDが凄くバーッと売れた(時代の)後になるわけですよ」といい、「こう上がっているけど、緩やかにっていう感じですね」と高橋。
大ヒットで仕事が増えたかとの質問にも、「私はテレビシリーズと1本次の映画の歌を歌わせていただいているので、そんなにその後は。(ヒットした頃には)それはもう終わってますからね。なのでなんとなく緩やかに」と語った。
木曜レギュラーの島崎和歌子が「活動自体はあんまりしてなかったんですか」と尋ねると、高橋は「一時、勝手に引退してた時期がありまして」と驚きの告白。
「大体2000年のそのあたりに私は子供がいるんですけれども、子供が生まれ、なんていうんですかね、芸能界って上げ底にしてもらえる立ち位置ですよね。メークさんが奇麗にしてくれて、衣装さんが奇麗にしてくれて、いい人に見られるように。でもそんなに売れてなかったんですけど、そうしていただいてることに少し危機感を覚えたというか。私はこのままいくとどうなるのかなと思って」と高橋。「やっぱり子供にカッコイイ姿を見せたいなと思っちゃって、よし辞めよう」と芸能界ではよくしてもらっていたとしながらも、仕事を辞めてしまったとした。
「で、勝手に辞めて」「あんまり売れてないし、辞めるのってカッコ悪いじゃないですか。だからスンと。消えていくように」と辞めていったというが、家庭に入ったのかと聞かれると「家庭というかその時はちょっとこう体調の悪い人も家にいたりなんかして、私が稼ぎ頭だったので」とアルバイトなどをしていたという。
「朝オープンのところでバイトして、日中デイサービスでバイトして、デイサービスはね非常勤だったんですけどで働いて。夜は時々入る、そのソリストとしてはあんまりやらなかったですけど、スタジオの仕事っていうのはたまに入るんで、そういうのは受けたり、あとどうしてもお断りできない先輩とかのお誘いとかはやらせていただいてたんですけど、事実上はちょっと静かに」過ごしていたとした。
MCの「ハライチ」岩井勇気が「戻って来ちゃった時は“すいません、戻って来ちゃいました”みたいな感じだったんですか」と問いかけると、高橋は「きっかけがあったんですよ」と回顧。
「なんかね、いろいろとそういうふうに言ってたけど、ある時夜空にね、物凄いいっぱい星が出てたんですよ。でこうボーッと見てて、あれ待てよ、この星の一つより私は小さいのに、やれやるのやらないの、歌うの歌わないの、何言ってんだ洋子と。何でも言っていただいたらありがとうございますと感謝して歌えばいいだろうと」と思ったと言い、「ということでただいま」と復活したと振り返った。