芸能活動再開した嘉門タツオが「鼻から牛乳 令和篇」や大阪関西万博の替え歌など新曲続々発表の理由とは

2024年07月24日 17:00

芸能

芸能活動再開した嘉門タツオが「鼻から牛乳 令和篇」や大阪関西万博の替え歌など新曲続々発表の理由とは
嘉門タツオと今は自宅に置かれている70年大阪万博の記念バッジ Photo By 提供写真
 昨年1月に飲酒運転で人身事故を起こし、1年2カ月間にわたって芸能活動を休止していたシンガー・ソングライターの嘉門タツオ(65)。事故を起こした事実は消せず、3月に復帰ライブを行ってから4カ月たった今も自戒の念は消えないが、替え歌で人を楽しませることだけは歌手人生の最後まで全うするつもりだ。
 被害者から活動再開を促され、都内で開いたライブで、足を運んでくれたファンに直接謝罪したのが65回目の誕生日だった3月25日。今月26日には地元・大阪のumedaTRADでその時以来となるライブを控えているが、あれ以降、どうしていたのか?

 「仲のいいレストランで歌ったりはしていました。ちょこちょこっと音楽活動はしていましたね」。それ以外では文楽を見に行ったり、資料や楽器を整理したりして自分の音楽を見つめ直す時間を過ごしていたという。

 最近は新曲発表に向けて動いている。復帰ライブに足を運んでくれていた、昔一緒に仕事をしたレコード会社の敏腕ディレクターからの、ヒット曲「鼻から牛乳」の「ニューバージョンをやったら?」という助言がきっかけだった。その言葉に背中を押され、新曲「鼻から牛乳 令和篇」を9月にリリースすることがとんとん拍子に決まり、今は製作とレコーディングで忙しい日々を過ごしている。他にも「なごり寿司 続篇」なども年内に発表予定だ。

 復帰ライブで叱咤激励された、世話になっている先輩・宇崎竜童(78)の楽曲「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」のメロディーを使わせてもらった替え歌「大阪関西万博エキスポ」も準備中の一曲。元々、2010年の上海万博以降、前回の21年ドバイ万博まで現地招待され、替え歌で日本館のPR役を務めるなど、万博には深く関わってきた。

 万博への思い入れは強い。理由は、生まれ育った大阪府茨木市の実家から自転車なら10分もあれば着く、現万博記念公園(吹田市)で当時まだ小学生だった1970年に日本で初めて開催されたこと。「21回も足を運んで記念バッジを64個も収集してね。それだけ集めたのに、友達らの中では3番目だった」と懐かしむ。

 昨年12月、茨木市内にある築44年のマンションの一室を手に入れた。「万博記念公園の太陽の塔が見える立地が気に入ってね。ここから外を眺めていると、50年以上前の万博への思いが強く浮かんでくる」と郷愁の思いも年齢とともに強くなっているようで、月に2、3度は訪問。「今は物作りのためのアトリエ。でも、万博の記念バッジや過去のグッズ、楽器、父母の写真なども飾って、いつか“嘉門タツオ記念館”にできれば。まあ、10年、15年先の話かもしれないけどね」という構想も打ち明けた。

 「できれば『大阪関西万博エキスポ』もいろんなところに呼んでもらって披露したい思いはあります。ただ、いろいろあった今の立場では厳しいかなと…。それでも呼んでいただける場があるなら、もちろん歌わせていただきます」と力を込める嘉門。旧バナナホール時代から数多くステージにあがり、10月に閉館することを知って地元凱旋ライブ会場に決めたという26日のumedaTRADでも、猛暑の続く中でわざわざ足を運んで、ずっと支えてくれるファンにそんな思いを明かしながら同曲を披露するつもりだ。 (窪田 信)

 ◇嘉門 タツオ(かもん・たつお)本名鳥飼達夫=とりかい・たつお。1959年(昭34)3月25日生まれ、大阪府茨木市出身の65歳。高校在学中に笑福亭鶴光に弟子入り。78年に毎日放送の人気ラジオ番組「ヤングタウン」のレギュラー。80年に破門されるが、83年に「嘉門達夫」として「ヤンキーの兄ちゃんのうた」で歌手デビュー。「鼻から牛乳」「替え唄メドレーシリーズ」「アホが見るブタのケツ」などヒット曲を生み出す。2017年に「嘉門達夫」から「嘉門タツオ」に改名。

おすすめテーマ

2024年07月24日のニュース

特集

芸能のランキング

【楽天】オススメアイテム