歌手・園まりさん死去 3人娘で“異例”の活躍 「嫌々組んだ」逸話…中尾&伊東が悲痛「もう逢えないの」
2024年08月01日 10:51
芸能
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だが、当時について、WEBのインタビューで「本当は歌なんて好きじゃなかった」「父が果たせなかったオペラ歌手への夢を私に託した」と、歌手の道は自分の意志ではなかったことを明かしている。
1961年4月に渡辺プロダクションに入社し、翌年に「鍛冶屋のルンバ」でレコードデビュー。同年、フジテレビ「レッツゴー三人娘」で中尾ミエ、伊東ゆかりと「スパーク3人娘」を結成した。
「3人娘」は国民的アイドルとして人気を博し、レギュラー番組を7本も抱えるなど、一斉を風靡(び)。
このときの心境についても「3人とも個性が確立してきて、1人で歌いたいと思うようになった」と明かしている。
だが思いとは裏腹に人気は上昇。3人そろって映画に出演したり、NHK紅白歌合戦にも2度出演。正式な音楽ユニットではないながら、“異例”ともいえる知名度で、2004年に再始動し全国ツアーを展開。22年には3人そろってテレビ朝日「徹子の部屋」に出演していた。
園さんは08年1月に乳がんを発症し手術。19年に乳がんが再発し、闘病生活を続けながらも「6人娘」コンサートを含み、ステージにテレビ、ラジオに出演した。昨年10月末の「日本歌手協会第50回歌謡祭」に出演予定も体調不良で入院、当日は視界の川中美幸が代理で歌唱予定だった「逢いたくて逢いたくて」を歌った。今年はコンサートに向けてもう一度ステージに立つためにと、治療に専念していた矢先の訃報となった。
ともに人生を歩んだ3人娘の中尾は、訃報を受け「思い返せば長い付き合いでした。嫌々組んだ3人娘だったけど結局これが運命だったのね」と振り返り、「今となっては楽しい思い出をありがとう」と感謝を伝えた。
伊東も「凄く寂しい、淋しい。お見舞いに行った時、コメント考えてねって、、、考えられる訳ないじゃない」と悲痛な思いを吐露。「60年以上のお付き合いで、沢山の思い出がありすぎです。歌手仲間と言うより、心の友、親友です、、、もう逢えないのね、、、。薗部毬子様 お疲れ様でした、、、」としのんだ。