佳純まさか右脚負傷 激闘3-4も初戦敗退「団体がある」
2016年08月09日 05:30
五輪
積み上げてきた4年間が、わずか1試合で終わった。初戦負けの石川の目に涙が浮かぶ。右ふくらはぎがうらめしい。6ゲーム目の途中でつり、最終ゲームの4―7で悲鳴を上げた。伸ばし、叩き、必死で回復を試みた。審判にも治療を求めたが認められなかった。「つって痛かった。テーピングをしてもらおうと思ったけど、(審判に)駄目と言われた」
相手のミスを誘うカット型とは長いラリーになる。体力を奪われることは百も承知。それでも異変は起きた。「試合でつったことはありません。ビックリした」。五輪の魔物に取りつかれた。
「時間が来たから終わりでなく、納得いくまで、手がどれだけ震えても(相手コートに)入れられるというところまで練習する意識です」。脳神経外科医・林成之氏の本から学んだ勝者のメンタルだ。中国対策として男子との練習を重ね、タブレットを買い、映像班がまとめた動画も小まめに見た。特にカット型なら「変化が分かるまで見る」とにらめっこした。全てはリオのための努力。予期せぬ体の異変がなければ、卓球史上初の個人メダルへの挑戦がまだ続くはずだった。
試合があった8月7日は母・久美さんの53歳の誕生日だった。小学3年の時、自宅が建った。そこに卓球台を置いたのは母の発案だった。母であり恩師の記念日を勝利で飾れず「勝ちたかった。申し訳ないです」と下を向いた。
「団体がある。リベンジのチャンスがある。4年間悔しい思いをしないようにリベンジしたい」。12日から前回銀メダルの種目が始まる。もう悔し涙は流さない。