【ラグビーレジェンド対談第1回】大八木淳史氏と山口良治氏(1)

2023年10月20日 05:10

ラグビー

【ラグビーレジェンド対談第1回】大八木淳史氏と山口良治氏(1)
山口良治さん(左)と八木淳史さん Photo By スポニチ
 元ラグビー日本代表の大八木淳史氏(62)がゲストを招いてトークする「レジェンド対談」。第一弾は大八木氏の恩師で、日本代表フランカーとしても活躍した元伏見工業高校監督の山口良治氏(80)です。あの伝説のテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」の主人公、滝沢賢治のモデルにもなった“泣き虫先生”が、教え子の“暴れん坊”と語り合った。 【対談動画はこちらから
 第1回は「山口先生の近況と日本ラグビーへの思い」(対談映像はYouTube「スポニチチャンネル」で配信中です)

 大八木 杖持たれて足の状態が悪いのですか?

 山口 右足のしびれが止まらなくてね。

 大八木 先生、もう80歳ですもんね。でも、まだ20年くらい生きられるでしょ。
健康、体調面で気になるのは右足だけですか?

 山口 右足が四六時中、起きている間はずっとしびれている。眠っているときだけ大丈夫。永久に眠らないとあかん。

 大八木 現役選手を引退してから心身ともに健康だったと思えるのは何歳の頃ですか?

 山口 それは引退直後やね。伏見工業に赴任したころやね。エネルギッシュやったね。みんなと一緒に走っていた頃やね。

 大八木 ラグビーの試合もされていましたもんね。今の選手は40歳まで現役を続けていますもんね。それに、今のラグビーは非常に科学的でね。プロ化に移行して、やりやすいように、科学的にこうしてという形になっていますけど、当時のジャパンはそんなのはなかったですもんね。

 山口 フォワードはとにかくボールに突っ込んでいってばかりやから、とにかく速い球出し、とにかく速く展開しようと。

 大八木 接近、展開、連続でしたもんね。

 山口 だから、(今の試合を見ていると)速く(ボールを)出せぇとね。

 大八木 やっぱり思いますか。もっと速く展開した方が。見ている方も面白いですもんね。

 山口 面白くないし、ラグビーじゃないみたいやね。

 大八木 一時のリーグラグビー、13人のプロラグビーは、ゲインしてゲインして、マイボールであり続けられますもんね。オールドファン、僕たちの時代とルールが変わって、ちょっと違いますもんね。

 山口 ラグビーじゃないみたい。

 大八木 先生の現役時代は退場したら、選手は(誰かが代わりに)入れなかったんですよね。

 山口 試合が始まったら15人だけ(交代は原則なし)。

 大八木 補欠もなかったんですよね。

 山口 今は交代、交代でね。

 大八木 今は8人、替われますからね。ケガしなくても。当時は80分間、走れないといけない身体能力がないとダメだったですもんね。

 山口 頭を打って、どこで(プレーを)やっているか分からない状態でね。

 大八木 脳振とうですね。今だったら、とんでもない話ですよね。

 山口 今はトゥーマッチケア、過保護過ぎるんよ、今のラグビーは。

 大八木 スロー(映像で)見たら、みんな(タックルが)滑って高く入ってしまっています。頭だって当たりますよね。故意にやっていないのにね。

 山口 あれで一発退場はかわいそうやね。

 大八木 退場して、(本人は)グッと来ているんでしょうけど、何試合か我慢したら、(また試合に)出られるんちゃうかなぁ、と退場が当たり前のようになっているように(目に)写りますよね。ラグビーも変わってきました。

 山口 おまえならとっくにな。

 大八木 25年くらい試合出場停止ですね。(ラグビー界から)除名されていますね。
     (続く)

  ◇山口 良治(やまぐち・よしはる)1943年(昭18)2月15日、福井県三方生まれの80歳。若狭農林高(現若狭東)から日大、日体大(編入)。1974年に伏見工(現京都工学院)に赴任。翌75年にラグビー部監督に就任し、1980年、92年と2度の日本一に導いた。現役時代のポジションはフランカー。キッカーとしても活躍。日本代表キャップは13。

 ◇大八木 淳史(おおやぎ・あつし)1961年(昭36)8月15日、京都市生まれの62歳。伏見工からラグビーを始め、同志社大―神戸製鋼。同志社大時代は大学選手権3連覇、神戸製鋼時代は日本選手権7連覇に貢献。現役時代のポジションはロック。日本代表キャップ30。
 

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