宗山の「H」、篠木の「K」を刻む公式記録員のお仕事 慶大OB・奥村昭雄さん「次の100年へ」

2024年05月03日 23:04

野球

宗山の「H」、篠木の「K」を刻む公式記録員のお仕事 慶大OB・奥村昭雄さん「次の100年へ」
ネット裏の記録員席でスコアをつける奥村さん(東京六大学野球連盟提供) Photo By 提供写真
 「学生野球の父」の飛田穂洲、「ミスタープロ野球」の長嶋茂雄、昨年には阪神を日本一に導いた岡田彰布も、1925年(大14)に始まった東京六大学野球を彩った。今年で創設から節目の100年目を迎えた日本最古の大学野球リーグを支える人々を紹介するインタビュー連載「東京六大学野球 次の100年へ」。第1回は慶大野球部OBで、09年から同リーグの公式記録員を担当している奥村昭雄さん(66)。今春のリーグもネット裏の記録員席で、野球史に刻まれる記録をスコアブックに記している。(聞き手 アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)
――いつから公式記録員に。

 「09年からですね。今年で15年目になります。慶大では野球部で主に一塁手としてプレーしました。卒業後、大成建設に一般就職してからはリーグ戦の応援に来ていました。公式記録員は野球部のOB会が推薦のような形で担当者を決めます。そのOB会の中で“野球が好きで、仕事もそこそこ落ち着いてきたOBがいる”とウワサが広がり、私にチャンスが回ってきました。元々、コーチでも何でもなかったんですけど、慶大や塾高の試合が好きでずっと見ていたんです」

――記録員は公認野球規則に則り判断を下していく。元々スコアを書く経験はあったのか。

 「私はずっと選手だったので、実はスコアブックをつけたことがなかったんですよ。試合の成績を後から見直すことはありましたけど、書いたことないから最初は“スコアをつけられませんよ”って話したんですけど“大丈夫だよ!”と言われてね。スコアブックの記し方の本を買って一生懸命覚えましたね」

――選手にヒットやエラーをつける責任ある仕事。

 「記録員になった当初は隣に補助の人がついてくれました。ただ、実際に記録員を担当する前のイメージと実際の仕事は全然違いました。“試合を見ながらヒットやエラーをつけるくらいだろう”なんて気軽に考えていたんですけど、試合中の全ての記録をつけなければいけない。打数、安打数、投球数、被安打のカウントと同時にヒット、エラーや自責点を判断していく。“こんなに大変なんだ”とやってみて初めて分かることばかりでした」

――球場入りする時間は。

 「試合のメンバー発表は開始時間の45分前に実施されます。その前に記録席に来ていないといけないので、遅くとも試合開始1時間前には記録員席に着いていますね。試合前にスコアブックにスタメンを記載して、名前や背番号、登録のチェックをします」

――試合中は一瞬の隙も許されない。

「全部のプレーを見逃せないから緊張しますよ。自責点などを考えながらもプレーはどんどん進んでいくところが大変。それに交代選手が大量にあったら、さらに慌ただしくなる。交代はしているけど、アナウンスされるまでに時間差もある。けれどプレーはどんどん進んでいく。その時は他の試合を担当するために近くで準備している記録員がフォローしてくれることもあります。時には(記録席の)周囲に座っている記者の方が“いまの打球は中堅手が捕球しました”と教えてくれることもありますね。試合後にはしっかり照らし合わせていきます」

――会社員だった時は平日は仕事、土日は公式記録員。第3戦になれば試合が月曜に開催されることも。

 「第3戦で月曜、引き分けがあれば火曜になることもありますね。良い会社だったので月曜や火曜でも“OK”してくれることがありました。実は各大学1人ずつしかいない名誉職でもあるんです」

――おおよそ何年目で記録員の仕事に慣れてきた。

 「実はいまだに慣れないんです。だいたいシーズンが終わる頃に“慣れてきたな”と思えるんですけど、次のシーズンが来るとやっぱりまた緊張する。毎年それの繰り返しです。春季リーグ戦前には高校野球の選抜大会をテレビで見て記録をつける練習をする。秋のリーグ戦前には夏の甲子園でやっていますね」

――一番印象に残っている思い出は。

 「自分が記録員をしている試合で早稲田の加藤君(現東京ガス)が強いゴロを打ち、遊撃手のグラブに少し当たって方向が変わった。その打球がセンターの横を転がった時、追った中堅手が転んで、その間に加藤君が本塁まで還ってきた。私はワンヒット・ワンエラーの記録をつけたんですけど、ランニングホームランとも考えられた。試合終了後も記録が訂正されることはなかったんですけど“加藤君のホームランを一本減らしてしまったのではないか…”と試合が終わってからも悩みました」

――ランニングホームランとワンヒット・ワンエラーでは打者の本塁打数はもちろん、投手の自責点にも絡む。守備側の記録と攻撃側の記録が表裏一体でプレッシャーのある仕事。大事なことは。

 「責任感、自信を持ってやることですね。記録員の仕事をやっていて褒められることは全然ない。普通にやって当たり前という仕事です」

――減点方式の仕事。それでもやりがいは。

 「やっぱり一番近くで選手たちのプレーを見られるってことにつきますね。あと、今回のリーグ戦の開会式で(日野)理事長がスピーチで“連盟関係者、審判員、公式記録員…”と私たち公式記録員の名を出してくれた。それを聞いて“見てくれているんだ”と救われましたね」

――東京六大学野球が100年目。今後の意気込みは。

 「伝統的なリーグ戦に関わることができてよかった。公式記録員として良いものは残し、改善するべきものは改善していき、次の100年につないでいきたい。毎日、毎日、緊張しながら頑張りたいと思います」

 ◇奥村 昭雄(おくむら・あきお)1957年(昭32)6月2日生まれ、東京都新宿区出身の66歳。慶応中から慶応高を経て、慶大野球部では主に一塁手の控え選手としてリーグ戦のベンチ入りを果たす。卒業後は大成建設に就職。09年から東京六大学野球リーグ戦の記録員を務める。

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