尾上菊五郎、異例の七、八代目2人態勢 来年5月菊之助が八代目襲名 歌舞伎400年の歴史で初
2024年05月28日 05:00
芸能
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過去に「中村福助」がお家騒動で東京、大阪の東西に1人ずつ存在したことはあったが、これほどの大名跡の俳優が同時期に2人存在するのは初めて。幅広い役をこなし、名実ともにトップ役者の地位に君臨する菊五郎。豪放磊落(らいらく)な人柄で知られ、過去の会見でも本音で話してきた。「病気と闘いながら粋でいなせな江戸っ子の芝居をしていきたい」と生涯現役を誓った。
一方、やや緊張した面持ちの菊之助は「父の言葉に従って、今まで菊之助を守ってきた。私は異を唱えることはありません。全力で八代目を全うしたい」と心情を述べた。そして「音羽屋の先祖代々の重い名跡を襲名するからには、歴代の菊五郎に劣らない役者になります」と抱負を語った。
襲名の話が持ち上がったのは2年ほど前。菊五郎が脊柱管狭窄(きょうさく)症など健康面の理由で公演を休むことが増えてきたことから「菊五郎という名前はいつも元気に働いていなければ」との思いで、昨年4月に菊之助に「お前、継げよ」と伝えた。
菊之助は立役、女形いずれでも活躍。「新作をプロデュースするアイデアもあり、その幅広い芸は同世代の中でも随一」(松竹関係者)と高く評価される。大名跡襲名が決まり「重い責任を感じ、先祖に墓参りをして報告しました」と振り返った。「新しい菊五郎をつくっていくのが、父の思いでもある。古典はもちろん、復活狂言や新作歌舞伎も努力していきたい」と新しい菊五郎像を築いていくことを誓った。
≪世話物が得意≫菊五郎は、豪快な荒事を得意とする團十郎に対し、江戸の町人社会を描いた世話物を得意とする。初代は江戸時代中期の18世紀に活躍し、屋号の音羽屋は初代の父音羽屋半平に由来する。五代目は幕末から明治にかけて活躍。お家芸である「新古演劇十種」の制定や天覧歌舞伎などを行い、歌舞伎役者の地位向上に貢献した。九代目團十郎、初代市川左団次とともに「團菊左」と呼ばれ、歌舞伎界に江戸時代以来の黄金期をもたらした。実子である六代目も名優として名高く、死後歌舞伎役者として初めて文化勲章を受章。初代中村吉右衛門と「菊吉時代」と呼ばれた。
◇尾上 菊之助(おのえ・きくのすけ)1977年(昭52)8月1日生まれ、東京都出身の46歳。84年2月に初舞台を踏み、六代目丑之助を襲名。96年5月に五代目菊之助を襲名した。「風の谷のナウシカ」や「ファイナルファンタジー」の歌舞伎化など新たな取り組みにも力を入れる。18年の大河ドラマ「西郷どん」、22年NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」などに出演。1メートル73。
≪寺島しのぶ長男・眞秀の名跡どうなる≫菊之助の姉は女優の寺島しのぶ(51)。その長男の尾上眞秀(11)はフランス人の父を持ち、戦前に活躍した市村羽左衛門以来、史上2人目の2カ国にルーツを持つ歌舞伎俳優。今後、自身の名跡を続けるのか、別の名前を襲名するのかにも注目が集まる。この日行われた会見には七代目の妻で寺島の母富司純子(78)も駆けつけ、家族の晴れ姿を見守った。
≪過去にお家騒動で「中村福助」が2人≫
「中村福助」を巡るお家騒動は江戸時代の後期、旅先で二代目福助が亡くなったことから始まった。東京で留守を預かっていた弟と、二代目福助に従っていた門弟が大阪で、それぞれ三代目福助を襲名。その後100年の間、東京と大阪に1人ずつ「中村福助」がいる状態が続いた。一方、芸能界でも“同名”俳優が同時に存在したことがあった。93年、加勢大周さんが事務所独立問題で揺れる中、事務所側が新人を「新加勢大周」としてデビューさせた。いずれ「新」は外すとしていたが、その後騒動に発展。わずか20日で「坂本一生」に改名した。