清原 野茂へ“はなむけ”二塁打

2008年07月19日 06:00

野球

清原 野茂へ“はなむけ”二塁打
<サーパス・中日>5回、清原は左線二塁打を放ち、雨の中ダッシュで二塁へ
 オリックス・清原和博内野手(40)が18日、前日に現役引退を表明した野茂英雄投手(39)へのあふれる思いを口にした。野茂の近鉄在籍時には力と力の「平成の名勝負」を幾度となく繰り広げ、野球ファンを魅了。同年代のスターが次々とユニホームを脱ぐ中で自身は完全復活を誓い、この日のウエスタン・中日戦(北神戸)の第3打席では左翼線二塁打。かつてのライバルへ“はなむけ”の快打を放った。
 時代の流れ、などという簡単な言葉では片づけたくなかった。また1人、ライバルが姿を消した。同じ大阪出身で年も1歳差。かつて西武の主砲と近鉄のエースとして幾度となくグラウンドで対峙(じ)し、力と力の真っ向勝負でファンを沸かせた清原と野茂。そのライバルの決断に、清原の“惜別の辞”は尽きることを知らなかった。
 「あれだけ誰も成し遂げられていないことを成し遂げて、それでも“悔いが残る”と言う。野茂の凄さを感じた」
 思い出が脳裏を駆け巡った。90年4月10日の藤井寺。初対決は無死満塁で迎えた。結果は空振り三振。「野茂が覚えているかは分からないですけど、最初の三振は僕ですからね」。“ドクターK”野茂が日米19年間で記録した通算奪三振は3122を数える。その記念すべき1つ目。清原にとっても思い出深いものだった。
 「同じ時期に野球ができて、対決できたことを幸せに思う」。90年から94年までの5年間、2人は名勝負を繰り返した。通算対戦成績は118打数42安打の打率・356と清原が優勢。だが同時に三振も34を数えた。「野茂は“ここでフォークを投げれば完全に三振”というところでもストレートだった」。三振数は直球勝負にフルスイングで応えた結果だった。
 「死闘を繰り広げた選手たちが引退するのはつらい」。思わずポツリと本音も漏らした。今春には“KKコンビ”の元パイレーツ・桑田真澄氏も現役を退いたばかり。40歳。時代の流れは痛感していても、清原はグラウンドでまだやり残したことがある。それを成し遂げるまでは…。左ひざ手術からの復活へ、この日も2軍戦に先発出場。5回の第3打席で中日の2年目右腕・清水昭の135キロ直球を強振し左翼線二塁打を放った。
 「もう一度、僕自身は誰もやったことのないことにチャレンジしているわけだから。残念なニュースが飛び込んできましたが、自分の目標を定めてやっていきたい」
 野茂への“はなむけ”の二塁打を放つと同時に、あらためて復活ロードを歩み続ける覚悟を決めた清原。ユニホームを脱ぐライバルたちの思いも胸に1軍のグラウンドを目指す。

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