【ROOKIES 猛虎ファイル】ドラ6津田(2) 高田商で一時は外野手転向も再びマウンドへ

2023年12月26日 05:15

野球

【ROOKIES 猛虎ファイル】ドラ6津田(2) 高田商で一時は外野手転向も再びマウンドへ
中学で所属した志貴ボーイズ時代の津田(本人提供) Photo By 提供写真
 ドラフト6位・津田淳哉投手(22=大経大)は、最速152キロを誇る右腕だ。力強い直球に加え、もう一つの大きな特徴が、ポーカーフェース。見事に抑えても、たとえ打たれても、どんな時でも決して表情を変えない。そんなマウンドでの姿は、どのようにして培われたのか。その裏には、努力を重ねて挫折や困難を乗り越えてきた“素顔”があった。 (松本 航亮)
 【中学、高校時代】中学ではボーイズリーグの「志貴ボーイズ」に入団。チーム内の投手の多さに驚いた。同学年だけで10人。さらに1つ上の代では、22年ドラフトでオリックスから1位指名される曽谷龍平がいた。

 ライバルが少なかった小学校時代のようにはいかない。「これでは投げられないなって。危機感を覚えました」。奮起して毎朝約3キロのランニングを開始。祖父・西田勝廣さんに後ろから自転車で付いてきてもらった。「当時は(トレーニングの)理論とか全然分からなかったけど、とにかくこれを続けようと。やめたら、神様が見ている」。努力が実を結び、2年秋に念願の背番号1をつけることができた。

 高校では高田商に入学。ずっと続けていた投手を外された。2年時の新チーム発足当初。練習試合の登板でストライクが入らない。ためた走者を連打で還される。「ピッチャーとしては最悪の内容でした」。1イニングもたずに降板。外野手転向を告げられた。

 「あの時は、頭が真っ白になりましたね。これからどうしよう、って」

 自宅での練習はシャドーピッチングから、素振りに変わった。結果を残し、3年春の大会では4番で出場。それでも、投手の夢は捨て切れなかった。「上では通用しないと思っていたので、野手のままだったら野球は高校までと決めていた」。虎視眈々(たんたん)と投手としてのチャンスを待っていた中で、5月に「夏に向けてピッチャーやろうか」と声がかかった。下級生の投手と競い、迎えた夏の大会前の背番号発表。「1」ではなく、「10」で名前を呼ばれたが、「メンバーに入れなかった3年生もいる」と、やはり表情は変えなかった。内に秘めた悔しさは、大学で晴らすことになる。

 ※【大学時代】へ続く

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