ポニーリーグ
月刊ポニーリーグ9月号 初陣の愛知稲沢が堂々の4強進出 窮地の仲間とともに 全日本選手権
2020年09月29日 05:48
野球
試合を決めたのは、自慢の強力打線だった。1―1の5回。簡単に2死を奪われたが、2番・丹下侑也の中前打からつながった。平井丈貴が右前打で好機を広げると、白木丈裕の中前適時打で勝ち越し。平松源堂も左前適時打で続き、守っては松田来輝、本居瞳眞の継投で逃げ切った。
「本当にビックリしています。キャッチボールもろくにできなかった子どもたちが、野球を楽しんでできるようになり、ベスト4に入れたんですから」
佐治靖生監督は感無量の面持ちで振り返った。昨季まではボーイズリーグで活動していたが、今季からポニーリーグに加盟。従来のトーナメント方式からリーグ戦に変わったことで各選手の出場機会が増え、チーム内競争の激化を生んだ。そこに、徹底した下半身強化が実を結び、7月の関西地区予選では4試合で計66得点。大会で敢闘賞を受賞した平井は「大会では打点をしっかり挙げられたことが良かった。全日本にも出られて4強まで勝ち進めてうれしいです」と振り返った。
大切な仲間とともに臨んだ晴れ舞台だった。全国大会を控えた8月。塩川大裕内野手の自宅が火事のため全焼してしまった。全てを失った塩川は涙ながらに退部を申し出たが、佐治監督が「これまで一生懸命頑張ってきたじゃないか。一緒に行こう」と説得。新しい背番号28のユニホームを用意すると、保護者が野球道具一式を準備して塩川も遠征に加わることができた。「多くの人に支えられて全国大会に参加することができました。感謝の気持ちを忘れず、これからも野球を続けていきたい」。閉会式後、塩川は感謝の言葉を繰り返した。
那須勇元事務総長による陣頭指揮のもと、大田スタジアムなどで義援金を募った。協会の指導理念第8条には「選手は親から、学校、教師から預かった大切な宝物」とある。1975年の日本協会発足時から受け継がれる思いを体現し、仲間の未来を切り開いた。