松本人志に「あの日」会っていなかったら…放送作家・高須光聖氏が人生変えた瞬間を振り返る

2024年02月27日 17:35

芸能

松本人志に「あの日」会っていなかったら…放送作家・高須光聖氏が人生変えた瞬間を振り返る
放送作家・高須光聖氏 Photo By スポニチ
 「水曜日のダウンタウン」「IPPONグランプリ」など数多くの人気番組を手掛ける放送作家の高須光聖氏(60)が、作詞家で音楽プロデューサーの秋元康氏(65)がMCを務める25日放送のTokyo fm「いいこと、聴いた」(日曜後1・00)に出演。裁判に備え、活動休止中のダウンタウン・松本人志との思い出を語った。
 秋元氏から「ダウンタウンからなの?」と、放送作家になったきっかけを聞かれた高須氏は「僕は映画監督になりたいというのが何となくはあったんですけど、松本がこの業界に高校卒業して入って、僕が大学を卒業した時に、東京でたまたま会ったんですよ」と回想した。

 東京のとある駅。「まだ無名」だったという松本と偶然にも再会し、ファミリーレストランで食事をすることになった。互いの近況を報告し合う中で松本は「俺らも大阪では売れてるけど、まだまだ」と語り、「でもちょっと気配を感じるから、俺らのブレーンとかやらへん?」と高須氏にオファーしたという。

 「どうせ、何も動かないんだったら、そっちでもいいから何かやってみるか」と思った高須氏は「俺にできる?」と聞き返すと、松本が「できる!できる!」と太鼓判。すると、松本は昨年6月で吉本興業を退社した大崎洋前会長に「“すごい面白いやつがいるから”って、大リーガーみたいに触れ込んで」とプッシュして、とんとん拍子に話が決まり、大阪の番組で放送作家をすることになった。

 高須氏は「彼がいたからこの業界に入ったみたいなところもあるんです」としみじみ語ると、秋元氏も「縁だよね」とポツリ。「東京で会って、連絡取り合ってなかったら、携帯もなかった時代ですから。よく東京で(会ったな)」と、再会した日を思い出した。

 映画の仕事も希望していた高須氏だが、今は「映画が撮りたいわけではないが、コンテンツで世界には行きたい。幸いにも『ドキュメンタル』(HITOSHI MATSUMOTO Presents ドキュメンタル - Prime Video)って松本と一緒に考えたあれが、20か国ぐらいでやっていて、広がってきているので、こういうパターンもあるんだな」と手応えを感じており、秋元氏も「あれはフォーマットとしてはすごいよね」と応じていた。

おすすめテーマ

2024年02月27日のニュース

特集

芸能のランキング

【楽天】オススメアイテム
`; idoc.open(); idoc.write(innerHTML); idoc.close(); });