「趣味は石原家」 慎太郎さん支えた母・典子さんの思い出に4兄弟がしみじみ「親父の1番のサポーター」
2024年02月27日 21:40
芸能
慎太郎さんが34歳の時に建てた15部屋もある大豪邸には、1階には広いサロン(客間)があり、毎年夏にパーティーが開かれるが、それ以外は子供は立ち入り禁止。良純は「1番覚えているのは、ここで(総理大臣だった)佐藤栄作さんと握手したこと。手がすごい厚くて。パトカーも先導で来たんだよ」と懐かしそうに思い出し、「裕次郎おじちゃんもベンツで来るんだよ。ピチピチの短パンで。おばちゃまは髪の毛がこの辺(腰)まであって、そんな人間は逗子にはいないから、宇宙人みたいで」と笑った。
苦労人だった典子さんは産まれる直前に父親が戦争で戦死し、14歳の時に結核で母親を亡くす人生だったが、知り合った慎太郎さんも小さい頃に父を亡くし、似た境遇で惹かれあったという。慎太郎さん23歳、典子さん17歳の時にめでたく結婚したが、慎太郎さんは映画監督や、スクーターで南米大陸1万キロを横断する旅に出たり、家庭を顧みなかった。
さらに慎太郎さんは政治家に本格転身。そのため、典子さんは32歳で受験勉強を始め、慶応大学に入学。「自分は高校卒業で、主人が将来、大臣になった時に妻の肩書が高卒じゃ申し訳ない」といい、法学部政治学科で夫を支えるための勉強をしたという。一方で家事をこなしながら、夫の選挙区へのあいさつ回りなど多忙だったが、弱音は一切見せなかった。宏高氏は「親父の1番のサポーターだった」と語る。
40歳を過ぎてから夫の趣味であるスキーやスキューバダイビングを始めたこともあるおしどり夫婦で、良純は「親父と一緒に旅行できるのが楽しかったんだと思う」と振り返る。そんな慎太郎さんは22年2月1日に逝去。後を追うように、同年3月8日には典子さんも84歳で旅立った。
延啓氏は「父に付いて行ったということで、僕は何となく安心しました」と語り、良純も「石原慎太郎にとことん付き合った。そして親父が死ぬまで死ななかった」と、慎太郎さんに捧げた人生だったと口にした。
晩年、伸晃の妻にだけ「私の趣味は石原家なの」と語ったという典子さんに、伸晃氏は「母は楽しそうだった」と明るく話し、良純も「面白い人だったから、2人とも。面白いものが近くにあったということは幸せなことだと思う」としみじみ語っていた。