新木優子 non・noモデルと一度断った意外な理由「そしたらお母さんにすごい怒られて…」
2024年03月17日 16:43
芸能
高校ではハンドボール部のマネジャーを務めた。「(オーディションが)受からない時期に、全然仕事がないから、部活できるかな?と思って、ハンドボール部のマネジャーをやってました。役職が欲しいというか、自分が何かをやっているという、そういう役割を欲しかったんですよね」。仕事が入らないのに、家に帰ることが嫌だったといい、友人の勧めで入部したという。
そんな新木に、モデルとして声を掛けてくれた雑誌があった。ストリート系ファッション誌「JILLE」で、在籍は「2、3年くらい」。そこで新木は、ナチュラルな笑顔を武器に、モデルとして地位を確立していった。
その後、20歳でついに「non・no」から声が掛かった。ところが、新木は「最初はお断りして」と意外なことを口にした。「その時代のnon・noのモデルさんって、本当に有名な方がいて、桐谷美玲さんとか。10人以上モデルさんがいて、その中に入って、自分が活躍できる気がしなかったというか。大きな先輩だったりとかいらっしゃるのに、私が出られるのかな?紙面に載れるのかな?っていう気持ちがすごくて、“できません”みたいな」。桐谷以外にも、本田翼、大政絢、波瑠ら、今も女優としてバリバリに活躍している豪華な面々が顔をそろえていたという。
そんな新木に喝を入れてくれたのが、母だった。「そしたらお母さんにすごい怒られて。“何で挑戦しないの!”って言って怒られて、目が覚めたというか」。あらためて、「non・no」で自分に挑戦する決意を固めたという。
最初の大きな壁は笑顔。これまではナチュラルな笑顔だったが、「non・no」で求められるのは「王道の笑顔」だったという。「撮って、スタッフさんに絶対に、最後に“笑顔下さい”って(言われる)。私、途中、笑っていたのに…って。笑顔にカウントされてなかったんだって。言われると固まっちゃって」。そのため、「最初の1年間くらいはずっと笑顔の練習をしてました」と振り返った。
「non・no」ではかつての経験を生かし、活躍の場を広げた。「私の笑顔は、ストリートが得意だったりしたこともあって、かわいらしいじゃなくてクールも任せてもらえるようになったりとか」と明かしていた。