加藤登紀子が涙の熱唱 母校・東大の安田講堂で思いあふれる 60年代、激動の時代を回想
2024年07月14日 19:18
芸能
![加藤登紀子が涙の熱唱 母校・東大の安田講堂で思いあふれる 60年代、激動の時代を回想](/entertainment/news/2024/07/14/jpeg/20240714s10041000303000p_view.webp)
真っ赤なドレスで登場した加藤は、大きな拍手で迎えられ笑顔。ゆっくりステージの中央へと向かうと、宮崎駿監督の「紅の豚」のエンディングに起用された「時には昔の話を」をフランス語と日本語で歌唱し、ファンを魅了した。
1943年に、南満州鉄道の職員をしていた父と、洋裁が得意だった母の間にハルビンで生まれ、終戦後2歳で引き揚げた経験を持つ加藤にとってハルビンは「原点。そして引き揚げはとても大きな出来事だった」と思いを込め、故郷に思いを寄せた「遠い祖国」を、晩年にラフマニノフが所有していたスタインウェイ・ピアノ1本で熱唱した。
2025年は、デビュー60年、戦後80年の節目を迎える。
和田アキ子(74)の歌手活動20年目に書き下ろした「今あなたにうたいたい」を披露した後には「この歌で泣くつもりはなかった」と涙をぬぐい、「たくさんの人と出会ってきた。この世に会えない遠くにいる人を思い浮かべるということもとても多いです。この場所に来るとまずいですね」とあふれる思いに体を震わせていた。
68年の卒業式ボイコットでは、加藤も広場の前に座り込んだ。
「翌年の1月にここに機動隊が入って全ての人が逮捕された。その後、91年くらいまでここは閉鎖されていた」と激動の時期を振り返り、「3月12日に作った歌がこの歌です」と「ひとり寝の子守歌」をアコースティックギターを奏でながら熱唱。
歌唱後は「この歌をレコーディングしたのは、69年の6月。藤本が拘置所から出所してきた日にレコーディング日だった。新曲ができたと耳元で歌ったら、『なんて寂しい歌を作ったんだ。耐えられない!』と言われて、その後2度とこの曲について話すことはなかった」と振り返っていた。
「政治は人と人を分断してしまう。それを超えて行かれるのは歌だけなんじゃないの」と呼びかけると、あふれた思いのまま、セットリストにはなかった「1968」を熱く歌い上げた。
終盤には今年4月に、被災地を訪れた後に書き下ろした新曲「風が吹いています」を初披露。
「とても寂しい被災地ではあったけれど、人が集って笑っていれば、そこに華やぎがあった。命は華やぐもの。そこで生きていようとしている人がいる限り、人も自然もよみがえる」と話すと、来場していた石川県七尾市の茶谷義隆市長(58)が立ち上がり「これから本格的な復旧が始まり、それから復興も始まっていく。1日も早く元の七尾。いえ、それ以上に魅力ある町に」と力強く語ると、会場から「頑張れよ!」と声援が送られていた。
生まれたハルビン、運命を変えた東京大学での出会いなど、自身の人生を振り返るようなコンサートを終えた加藤は「こんなにたくさんの思いを嵐のように感じながら歌ったのは初めて」と目を潤ませていた。